東京でも長かった緊急事態宣言が明け、国のトップが代わり、コロナウイルスが急に萎んでいる(この原稿を書いている時点での話)。まあコロナウイルスは一時的になりを潜めている気もするが、あちらの出版社さんもこちらの広告代理店さんも鬼の居ぬ間的というか、ここぞとばかりに一斉に仕事を依頼してくださり本当にありがとうございます。そんな僕の状況を察して「写真と原稿は都合のよいときで結構です」と寛大なペンタックスさんありがとうございます。

そんなわけで私事の写真を撮る余裕もなく、前回文鎮だ漬物石だとネタにしていたHD PENATX-DA★16-50mmF2.8 ED PLM AWも箱に入ったまま。これはいけない。本当に文鎮か漬物石になってしまう。かくして仕事の撮影にK-3 Mark IIIとともに携行。というか、いくつかの仕事はこの組み合わせでこなした。すっかりミラーレスに慣れた今となっては、一眼レフで依頼仕事をこなすのは懐かしくも新鮮な感覚だ。

 

 

 

 

今回の写真は主に10月下旬から11月に撮影したものだが、この時期は週単位で光が変わっていくことがある。太陽の位置が高い夏場は多少その高さ・角度が変わっても、風景にそう大きな変化はない。しかし冬が近付いて太陽が低くなると、建物や山々などに遮られることが増え、日々風景が変化していく。とくに四方を建物に囲まれた市街は、ワンブロック違うだけで日の出や日没の時刻も変わってくる。沈んでしまったはずの太陽が建物と建物の間からひょっこりと現れ、鮮烈な西日を放つこともある。

低い角度からの光は街の風景に明暗を与えてくれる一方、夏の光と違って柔らかさもある。写真を撮るにはまさに理想的な光だ。12月から1月にかけては日照時間も短く、屋外での撮影は時間との勝負だが、その限られた時間こそ写真家のゴールデンタイムだ。

 

 

 

そんな季節の移ろいを意識するようになったのは、山梨県の霊山・七面山に通ったことだった。山頂には750年近い歴史を有する宿坊・敬慎院があるが、参拝をするには標高差1200mを自分の足で登らねばならない。そこに年間数万人がそれぞれ思いを抱え、早い人で3時間、お年寄りになると7~8時間かけて登る。その登山自体が修行であり、白衣を纏って南無妙法蓮華経と唱えながら登る姿も多い。参詣者を出迎える僧侶たちもまた、読経だけでなく接客や施設の維持管理などあらゆる仕事をこなす。袈裟よりも作業着を着ている時間が長い日もあるし、冬はマイナス20度くらいに冷え込む。今の日本にそんな場所があることに興味を抱き、2010年の春から撮影のため時折登るようになった。

 

 

 

 

当初は思うような写真が撮れずにいたが、程なくして毎月敬慎院へ登る“月参り”の信者さんや地元住民の存在を知った。それくらい登って、ようやく何かが見えてくるのではないか。そこで翌2011年から僕も月参りを始めた。登山道は鬱蒼とした木々に覆われ、ほとんど眺望がない。一眼レフに交換レンズ4~5本、1泊分の荷物を背負って登るのはまさに修行だ。しかし黙々と歩くその道のりで、先月と同じような天気でも肌で感じる風や、木々が発する匂い、光の強弱が違うことを感じた。僕は生まれてから今に至るまで東京にしか暮らしたことがなく、季節の移ろいは後を追って認識するものだったが、七面山に登ることで五感が研ぎ澄まされるようになったと思う。

いきおい写真の幅も広がり、2013年には写真集の出版にこぎつけた。その後も写真集のお礼参りというわけではないが、2015年の春まで4年ちょっと、ほぼ毎月登り続けた。やめた理由は高校の非常勤講師となって時間がとれなくなったためだが、いつか機が熟したら再開しようと思っている。前回よりもっといい写真を撮りたいし、撮れる気もしているが、それよりも月に一度自然に身を委ねる機会が欲しいのだ。

 

 

 

と、自然の欠片も見えない写真に添える文章としてはどうかと思いつつ、コロナ禍でなかなか登れずにいる山に想いを馳せた。来年はこの連載で七面山の写真をお見せできたらいいなぁ。

 

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