ポートレイト。ポートレート。ポトレ。様々な呼び方がされている昨今、ポートレイトブーム到来と言えるのかもしれない。そして不思議な事にポートレイトと言えば女性を被写体とした作品がほとんど。

そもそもの語源を探ると肖像画、肖像写真と男女問わずの人物写真という事だそうだが、人はなぜポートレイトに惹かれるのか。人と人との関係性や空気感にある一定の憧れがあったり理想があったり。それを表現してみたくなるのか、と思ってみたりしている。

 

もちろん人間関係が写るのだから良い関係性だけでは無いはず。悪しき関係はやはり撮りたくはないが、その意思に反してうっかり気持ちが写ってしまったなんて事も多々起きる。

これが写真の面白さであり、反面怖さでもある。撮り手の「ああ、こうしたら良かった」とか「もっとこうなのに」みたいな葛藤の方がより「写ってきてしまう」というチカラが写真にはある気がする。

 

なにぶん人間のネガティブな想い(念に近い)の方が強く写真に見えやすかったりするものだから困ったものだ。

では、どうしたらそうではなくなるのか。とても難しい問題のようだがいたって簡単。目の前にいてくれる人に、撮らせてくれる人に感謝を忘れない。そして思いっきり好きになってみる。単純な事だけど1ミリの疑念も持たずに好きになる事は実は難しいと思う方も少なくないだろう。

 

関係性、距離感の狭間にカメラが介在する以上、その妄想たる「好き」は絶対に成立すると思っている。
より相手を知りたくなるからこそ、自分も知ってもらわなければならない。緊張をほぐしたり、笑顔で居る事も全て「撮り手」から発信すればこんなにも愛ある瞬間になるのか!と感じる事だろう。

そう、僕との作品は、二人の時間の過ごし方であり、自然でいられる事を「楽」と捉えてくれた瞬間の結晶なのだ。

 

そして少なくともその瞬間は「僕と貴女(ぼくとあなた)」という特別な関係になる。それは写真が全て物語る。単なる肖像写真で、貴女が写っているわけだけど、何よりも僕自身しか写っていないかもしれない。



 

だから僕はこう宣言する。“特別である貴女に愛を込めてシャッターを切り続けようではないか。”