こんにちは

気が付いたら年が明けてしまったのですが、カメラが欲しくなっているのは変わらない、写真好きの大久保(以下)です。
PENTAX道場師範でもある写真家 新納翔さん(以下)の写真展『PETALOPOLIS/ペタロポリス』は終了しましたが、前編(>>矛盾と写真「PETALOPOLIS」展示編)に引き続き、『PETAROPOLIS』のテーマや>>写真集についての話をご紹介したいと思います。

 

新納さんに話を伺っている様子

新納 翔

1982年横浜生まれ。麻布学園卒業、早稲田大学理工学部中退。
2000年に奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、写真の道を志す。2007年から6年間山谷の簡易宿泊所の帳場で働きながら取材をし、その成果として日本で初めてクラウドファウンディングにて写真集を上梓する。2009年から2年間中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして活動。以後、現在まで消えゆく都市をテーマに東京を拠点として写真家として活動をしている。
川崎市市民ミュージアムでワークショップの講師経験を経て、2018年6月より目黒「デジタルラボPapyrus」にてデジタル写真技術を広く教える活動もおこなっている。主な写真集に『山谷』(2011、Zen Foto Gallery)、『Another Side』(2012、リブロアルテ)、『Tsukiji Zero』(2015、ふげん社)『PEELING CITY』(2017、同)がある。
現在、新潮社電子書籍『yom yom』に写真都市論「東京デストロイ・マッピング」連載中。
写真家・新納翔公式サイト:Niiro Sho Photography
東京を切り撮った最新写真集  Petalopolis | ペタロポリス(ふげん社)を刊行。

<架空と現実を1枚の写真で>

:『PETALOPOLIS』は数百年後の都市写真という趣旨からするとどこの場所で撮影したのかわからなくするのかと思いましたが、場所がわかる写真が数点ありますね。
:写真のセレクト段階で時間と場所を喪失させるという狙いはありました。
例えば渋谷駅の写真を見ればすぐにどこだかわかると思いますが、僕の中の架空都市「ペタロポリス」の写真なので、時代性はなく、別に撮影場所は東京でなくてもいいと思っています。

 

 

『PETALOPOLIS』はジョージ・オーウェルのSF小説『1984』みたいな架空世界を、ビジュアルで造り上げた作品です。ただ、東京もこのまま再開発が進んでいくと、いずれこうなるんじゃないかなという思いもあります。
:渋谷で撮影した写真ですが、全く架空の世界を表現している面と、東京の未来の姿にもなりうるという二面性を持っているのですね。
:また、歩いている人を見ると皆さんスマホを見ていますよね。そういった状況に警鐘を鳴らすわけではないですが、自分の周りの風景に対する関心のなさを危惧をしています。そういう意味も込めて『PETALOPOLIS』を作りました。
:ビジュアルの架空の世界ではなく、現実の周りの世界にも目を向けてほしいのですね?
:そうですね。例えば、写真をやっている人ならわかると思うのですが、景色を見るという行為は、タダでできる娯楽なのに多くの人はスマホを見てSNSやメタバースの世界に没入している。とてももったいないと思うのです。

数百年後の都市を表現した『PETALOPOLIS』。完全に架空の世界なのに、現実の東京の未来でもありうるという矛盾を持たせています。
架空の世界といえば新納さんは『視考する写真』でゲーム世界内の写真であるゲームフォトに言及されています(>>視考する写真 第6回「リアルを超えたゲームのスクショは写真になり得るのか」)。
『PETALOPOLIS』とゲームフォトの関係を聞いてみたいと思います。

<数百年後の写真>

O:どの写真にも非現実感がありますね。『視考する写真』で書かれていたゲームフォトの世界を感じます。
N:CGのクオリティが上がるにつれてゲームフォトはより現実に近づいています。その反面、リアルな写真に過度なレタッチを施した作品を見るとどっちがバーチャルなのか、わからなくなることもあります。

 

 

N:この羽田の写真から未来を感じたのでメイン写真にしています。
今、東京駅周辺は再開発がすすんでそこには未来があるんですけど、それは僕からすると想像の範囲内なのですね。
そこは今の我々のいる2021年とリンクしている世界なのです。この写真は完全にリンク感がない、いわゆる近未来ではなくもっと先の景色なのです。
だからメガロポリスのメガ→ギガ→テラとなり、もっとその先という意味でペタロポリスにしたのです。
以前の作品『ヘリサイド』では臨海部ばかり撮っていたのですが、その時に臨海部の方が未来の風景が多い気がしたのです。よく考えると黒船も外から来た。それまで時代は都心部から波及していくと思っていたのですが、逆だなと思ったのです。
臨海部に新しいものがあって、内陸部と5年くらいの差がある気がしたのです。外部の世界との接点である臨海部や羽田を撮ることが5年後の未来を撮ることにつながると思い、ここなら未来の都市が撮れると思い始めたのです。
:だから空港や羽田の写真があるのですね。写真の所々を加工していますね。
:メイン写真で実際消したのは一つだけです。一つ消したんですけど、全部消したと思われてもしょうがないですね。でも、別にそれでいいです。僕は写真は素材だと思っているので。
:あと黄色についてお聞きしたいと思います。写真集でも効果的に黄色が使われていますし、使われている写真でも黄色が印象的に心に残ります。

 

 

:都市風景を撮っていて感じるのですが、日本では黄色は本当に使われていないんですよね。黄色い家、ビルもない。圧倒的に黄色は少ないのです。
ペタロポリスという未来都市では黄色が増加しているのではないかと思い、テーマカラーにしました。ペタロイエローと勝手にネーミングしています(笑)。

<数百年後のレポート>

すでに写真展『PETALOPOLIS』は終了していて、その世界観が味わえないと思われておられる方もいらっしゃると思います。でも大丈夫です。
新納さんは『PETALOPOLIS』を写真集でも造り上げています。では、写真集『PETALOPOLIS』に焦点を当ててみたいと思います。この写真から写真集の位置づけがわかるようになっています。

 

 

O:この写真は都市の風景から離れている気がします。町内会の掲示板の背景に白バックを配しています。なぜ撮影機材があるのでしょうか?
N:そもそも作品全体が2021年に生きる僕が数百年後くらいの都市の調査員として、時間を超えて行って撮ってきた景色というのがテーマです。
これは未来のペタロポリスの街に行ったのに2021年の景色が残っていたという考古学的な視点で資料として撮影している感じです。

写真集が調査の報告書という体裁なので、きちんと綴じてなくレポートのような作りにしました。つまり、これは僕が調査員としてペタロポリスを調査してきた報告資料なのです。

 

O:この表紙もペタロイエローですか?
N:そうです。このモザイク模様はメイン写真の一部を拡大して作っています。この報告書は未来都市の片りんを集めているのでピクセルとも相性がいいかと考えました。ペタロ味のある景色が未来都市のコアになると思っているので。

写真集は様々な形態があり、写真展のカタログのような写真集もあれば『PETALOPOLIS』のような本そのものが一つの作品になっている写真集もあります。
一般的に写真集はしっかりした製本されたものを想像されると思いますが、『PETALOPOLIS』はいわゆる背表紙がなく糸で綴じている様子が見えています。糸も一部ペタロイエローを使っています。
紙のカバーはなく、アクリルのスリーブの中に収められています。スリーブに文字とメイン写真(の一部)が印刷されていて、スリーブを外すとペタロイエローだけの表紙になります。
写真だけではなく装丁でも『PETALOPOLIS』の世界を表現しているわけです。

[※1]

[※2]

[※3]

[※4]

※1:新納さんの645Zと『PETAROPOLIS』と『PEELING CITY』。スリーブを取った状態の写真集は黄色い表紙のみになる。
※2:『PETAROPOLIS』には背表紙がなくこのように糸で綴じている。ペタロイエローの糸も使用。
※3:背表紙がないのでとても開きやすい。写真をフラットにみることができる。
※4:レポート風の解説書。日付は消されている。台紙には撮影地の地図へのリンクになっているQRコードが貼られている。

糸で綴じているだけで強度が心配と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、実際この報告書は背表紙がないのでページを開くとフラットになり写真がとても見やすいのです。
また、最後の台紙に撮影場所を記載したページへのQRコードがあります。
写真展を見た方はもちろん、見逃してしまった方もこの報告書『PETALOPOLIS』を購入されてはいかがでしょうか(>>PINHOLE BOOKS – STORES『PRTALOPOLIS』商品ページ)。限定500部です。
矛盾をはらんだペタロポリスの世界。その貴重なレポートです。

<PETAの先>

数百年後の世界を描いた新納さんですが、今後はどうされるのか気になるところです。

O:ゲームフォトのようなグラフィカルな写真を作成されるのでしょうか?
N:ペタロポリスと違う発想になるのですが、何でもないようなモノでも白バック立てることによってすごい特別なものに見えることがわかりました。
ただの掲示板なんですけど、すごい特別なモノに見えるのです。

 

 

:この手法で新しいシリーズをやってみたいと思います。電話ボックスとか東京タワーとか。東京タワーはさすがに合成になるけど。例えば最後の一枚は地球を白バックで撮るといった感じですね。
写真は素材になってきていると思います。写真を使って、ゲーム写真と融合させるとか。ストレートにとった写真だけで表現する感じではなくなっているではと思い始めています。
写真表現の定義も不安定になってきているので、何でもありかなと。あまり写真家という認識もなくなってきていますね。
:でも、カメラで撮ってきた写真をベースに作品を作られているので写真家だと思いますが。
:そうですね。PENTAX 645Zで毎日3時間くらい撮り歩いてるし、このカメラは一生使い続けます。
:写真を撮る行為が毎日ルーティンになっているのですね。
N:月に数回企業の仕事もありますが、僕は歩くこと位しか仕事がないので。毎日撮り歩いています。妻に言わせれば、仕事もしないで散歩している人という認識ですけど(笑)。
:そのルーティンは今後素材撮りになってしまう。写真を撮る行為は変わるのでしょうか?
N:でもやっぱり、アッと思っていい景色だという純粋な心は残っています。たぶん、素材撮りと今までの撮影行為を両立してやっていくと思います。

新納さんの写真を撮影する行為は写真家になりたいと思った蒲田の工場を取り歩き始めたころから、今もこの先も変わらないようです。
ただ、そのアウトプットの表現方法は変容していくようです。人や都市に思いをはせてきた新納さんが、今後はどのような世界を創造するのか楽しみです。
『PETALOPOLIS』は架空の世界ではあるけど、現実でもありえるという矛盾をはらんだ世界のように感じましたが、それがこの作品の面白みを増す結果になっていると思います。

新納さんはPENTAX道場の師範でもあります。
今月のお題は「ボケを使った写真表現」です(>>PENTAX道場)。
新納さんの作例を見るとボケは主要被写体を目立たせるためではなく、ボケそのものを写真の構成要素の一つとして使っている気がします。
みなさんもボケの写真表現でチャレンジされてはいかがでしょうか。

写真って面白いですね。