こんにちは

カメラオタクかつ写真オタクな商品企画の大久保(以下O)です。
ようやく涼しくなってきました。さて今リコーイメージング東京のギャラリーAで「アンドレアス・ファイニンガー写真展-Andreas Feininger’s PENTAX Works- PartⅠ ニューヨーク」が10/5まで開催されています。

いつもですと、写真家の方にインタビューさせていただくのですが、残念ながらファイニンガーは故人です。
写真オタクとしては恥ずかしながらファイニンガーの写真をあまり知りません。ファイニンガーは写真史に名前が出てきますが、知る人ぞ知るという感じで、同時代の他の写真家に比べ知名度は少し低いように思います。
そこで今回は写真評論家のタカザワケンジさん(以下T)にファイニンガーの作品の特徴や写真家としてのポジションなどお話を聞いてみました。

タカザワケンジ
写真評論家、ライター。
1968年群馬県生まれ。
早稲田大学第一文学部卒。会社員を経て、97年からフリー。
「新聞・雑誌に評論、インタビューを寄稿。『Study of PHOTO -名作が生まれるとき』(ビー・エヌ・エヌ新社)日本語版監修。金村修との共著『挑発する写真史』(平凡社)。
写真集の構成・解説に渡辺兼人写真集『既視の街』(東京綜合写真専門学校出版局、AG+ Gallery)、石田省三郎写真集『Radiation Buscape』(IG Photo Gallery)ほか。
東京造形大学非常勤講師。
IG Photo Galleryディレクター(>>IG Photo Gallery)。

 

 

<ファイニンガーとバウハウス>

最初にファイニンガーのプロフィールのうち一部を抜粋してみました。

アンドレアス・ファイニンガーは1906年パリでアメリカ人の両親の間に生まれ、ドイツで初等教育を受け、バウハウスで木工を、高等工業学校では建築を学びました。
やがてパリでル・コルビジュの指導を受け、ストックホルムで建築事務所を構えました。
そのころ独学で写真を覚え、1939年アメリカに渡り写真家に転向したのです。そして1943年からは「ライフ」誌のスタッフカメラマンとして19年間活躍、のちにフリーランスになっています。
ニューヨーク大学ではフォトコミュニケーションを講じ、また写真展・著作・受賞は多数に上りました。作品はメトロポリタン美術館その他に収蔵されています。
著作の内容も写真集から写真論・写真技術と広範囲に及んでいます。
1906年12月27日 パリ生まれ。父は画家のライオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger)。少年時代はドイツの公立学校で学ぶ。
1922~1925年 ヴァルター・グロビウスのもとでキャビネットの制作を修行。
1926~1928年 ヴァイマールとツエルブストの高等工業学校で建築を学ぶ。そして写真に興味を持つ
1928年 建築学の≪修士号≫を受ける。建築家および報道写真家としてハンブルグ等で働く。
1932~1933年 パリのル・コルビジェの事務所でアシスタントとして働く。
1943年 「LIFE」誌のスタッフ写真家となる。その後19年間に350以上の写真プロジェクトをこなす。
1974年 ≪The Perfect Photography 完全なる写真≫を出版。
1992年 写真展「ニューヨーク」「自然の形象」 ペンタックスフォーラム東京・大阪(現リコーイメージングスクエア東京/大阪)にて開催

お父さんのライオネル・ファイニンガーは画家としてかなり著名な方で、弟のT・ルックス・ファイニンガーも写真家です。
お父さんはバウハウスの先生でもあり、アンドレアスもそこで学んでいます(芸術一家ですね)。
バウハウスは1919年にドイツに設立された、工芸・写真・デザイン・美術・建築の総合的な教育機関で現代美術に大きな影響を与えています。
写真だとモホリ=ナジが有名です。モホリ=ナジは写真でできる表現を探求し続けた人でフォトモンタージュなどを駆使しています。

:ついつい知ったかぶりをしてしまうのですが、バウハウスについてあまり詳しくありません。ファイニンガーは写真ではなく建築を学んだようですが、バウハウスには他にどのようなジャンルがあったのでしょうか?
:建築を中心にインテリアデザイン、グラフィックデザインとか写真と映像。モホリ=ナジが写真と映像を教えていました。
:ファイニンガーとモホリ=ナジとは接点はあったのでしょうか?
:そんなに大きな学校じゃないので交流はあったと思います。ちょうど去年でバウハウス設立100年なんです。バウハウスの展示を東京ステーションギャラリーでやっていましたね(9/6まで)。
バウハウスが画期的だったのは美術造詣教育をジャンルを外して、同じようにラッピングして学べるようにしたことです。建築を勉強していたけど、写真も勉強することができたのです。
この手法は今でも世界の美術教育のお手本になっています。元々は建築家のワルター・グロピウスが新しい建築を作るために開校したのですが、建築を進化させるためにもっと様々な知識が必要ということで拡がっていきました。
:バウハウスが設立された1919年は「PENTAX」の起源となった旭光学工業合資会社(当時)の設立した年でもあるのです。
ファイニンガーはドイツのバウハウスで学んでアメリカに来ました。アメリカでもバウハウスはあったと聞きます。バウハウスはドイツからアメリカに移ったのですか?
:教授の一人で写真や映像、絵画やグラフィックに精通していたモホリ=ナジが亡命して、ニューバウハウスをシカゴに作ったんです。第二次世界大戦をはさんでいますね。ちょっとずれますが、石元泰博さんはこの学校の出身です。
:ファイニンガーのお父さんが絵画で息子が写真。モダニズム一家ですね…よくモダニズム写真という言葉は聞きますが実はこれも知ったかぶりで、あまり詳しくありません。
:モダニズム写真ですが、19世紀までの写真はピクトリアリズムといって絵画の手法をまねることで芸術になろうとしていたんですが、モダニズム写真はそうではなく写真にしかできないことを徹底してやるべきだという考えです。写真の可能性を掘り下げないといけないという事で大きく表現が転換したわけです。
ファイニンガーも同じ考え方だから、カメラやレンズ。フィルムの可能性を探求したりしていたようです。ファイニンガーはモダニズム写真の巨匠ですね。

 

<ファイニンガーとライフ誌>

:ちょうどイメージングスクエア東京の書架にこの本(The Best of LIFE)があったんですが。これを見るとライフ誌で活躍したユージン・スミスや年齢の近いマーガレット・バークホワイトの写真はたくさん出てくるんですが、ファイニンガーは数点です。巨匠という割には写真が少ない気がするのですが。
:ファイニンガーは写真を中心としたグラフ誌などで活躍するフォトジャーナリストとしての活動だけでなく、写真展を開いたり、写真集を出すなどの作家活動をしていますし、『ファイニンガーの完全なる写真』をはじめとする写真入門書をたくさん書いていて、写真普及、写真教育にも足跡を残しています。写真界への影響は大きかったと思いますね。

:スタートが建築だったというのも大きいと思います。建築家のル・コルビュジエは近代建築五原則でモダニズム建築を定義づけた人。ファイニンガーは約1年ほどですがル・コルビュジエの事務所で働いた経験もあり、実践だけでなく、理論を考えることもできたんだと思います。
写真とは何かを一般の人にわかりやすく伝えることができた人、という位置付けですね。
有名な写真があるというよりは写真でできることを考えて実践した人です。

:ネットでファイニンガーを調べると大きな望遠レンズを付けた大判カメラが出て来ます。
:レンズの使い方とかを熱心に研究されていたのだと思います。
:研究肌なのですね。
:そうですね。写真の可能性を追求していたのだと思います。パッと見て「ファイニンガーだ」とわかるようなクセはなくて、自分の個性を押し出すより、写真表現の幅を広げようとしていたんだと思います。
だからこそ、『ファイニンガーの完全なる写真』の中で「写真の可能性と限界」という章を設けてカメラ、レンズ、露光、フィルムのことを一般の人に伝えることができた人ですね。

もちろん、写真のクォリティの高さを忘れるわけにはいきません。被写体がありふれたものであっても写真にきちんと撮れば興味をひくものに見えてきます。誰が見ても「上手い」と思える写真ですよね。
:なるほど、例えばこの写真は実用的に未来の映像を見せるための説明写真ですが、写真としてかっちり撮れているからオブジェみたいな魅力がありますね。

〔The Best of LIFE P114から引用〕

:そこが並みの写真家ではないところですね。いろんなレンズを駆使して撮っていて、実験的にいろいろ撮っているから、ファイニンガーといえばこういうスタイルだよねという、一つのスタイルに収れんしているような人ではない。レンガーパッチョやモホリ=ナジなど、モダニズム写真を始めた人たちの少し下の世代で、その方法を発展させた人。モダニズム写真の元祖ではなく拡げた人なので、少し地味に見えてしまうのかもしれません。
:アンセル・アダムスと似ていますね。
:アンセル・アダムスも技術書を出していますね。考え方は一緒です。モダニズム写真は使っている機材をよく理解しないといけないし、写真でしかできないことをやらなきゃいけない。私たちが今当たり前のように使っているカメラ、発展の土台には彼らの実験があるんですよね。
アンセル・アダムスとファイニンガーの違いはアンセル・アダムスにはライフワークがあったけど、ファイニンガーには明確にこれというのがないということですね。
ウジューヌ・アジェみたいにパリの街を撮ったり、アンセル・アダムスみたいにヨセミテ公園を撮ったとかですと評論家としても論じやすいのですけど(笑)。
ファイニンガーみたいにテクニシャンでいろんなものを撮っていると、後世に残りづらいんです。
:The Best of LIFEの中にライフ誌専属のカメラマンの集合写真があるのですが、ファイニンガーは中段の右から5番目にいます。


〔The Best of LIFE P15から引用〕

:おじさんばかりですね(笑)。ファイニンガーがフォトジャーナリストに見えてしまうのは仕事がライフ誌にあったからなんですよね。
もしかしたら、本人はどちらかというとギャラリーで作品を展示してそれが売れるのが一番良かったのかもしれない。でも当時は写真のマーケットは確立されてなかった。写真の技術を使って好きに活動しようとしたら、こういう雑誌の仕事しかなかったのが実情だったんじゃないですかね。
その中でも個人で賞をとってるし、評価されたのは間違いないですね。ライフ誌のスタッフカメラマンともなれば超一流です。

 

<ファイニンガーとニューヨーク>

今回の展示はモノクロのスナップ写真がメインです。
プリントの監修はファイニンガー自らが行い、1992年の写真展以来の公開です。約30年ほど経過していますが、プリントの劣化は全くありません。
ファイニンガーは主に大判カメラを使っていますが、今回の作品はPENTAXの35mm版の一眼レフカメラで撮影されています。

タカザワさんへのインタビューは写真展の前だったので、1992年の写真展の図録を見て頂きました。
「隙の無い上手な作品ですね。バウハウスの片鱗を感じます。丸い形状など画面全体で構成してますね。ドイツの新即物主義からの流れもありますね。」
確かにきっちりした構図です。しかし例えばこの写真からはどこからかユーモアを感じます。

それぞれの写真にはファイニンガーのキャプションが残されています。
左の写真は「ぴかぴかの黒い車に移った超高層ビル。錯綜したその形は、都会生活につきものの混乱と興奮と魅惑とを連想させる。」
右の写真は「シャドウマン、その1.創作の衝動に駆られた芸術家の仕業であろう。数年まえ、あちこちの塀や建物にこんな黒い人影が出現し、通行人を戦慄させたものである。」
作品ではあるのですが、シャドウマンシリーズ(会場には他のシャドウマンの写真もあります)からは、どことなく彼の遊び心を感じます。
研究肌な人がメインで使っている大型カメラとは違う小型のPENTAXの一眼レフで休みのプライベートな時間で気軽に撮ったスナップなのかなと想像してしまいました。
気軽ではあるけど、ファイニンガーなので見ごたえのある隙の無い写真になっているのかなと思ってしまいました。
ぜひ会場まで足を運び、見に来てはいかがでしょうか。スナップが好きな方にはうってつけだと思います。
また、先ほど紹介したThe Best of LIFEもリコーイメージング東京の書架にあります。LIFE誌におけるファイニンガーの写真やほかの同時代のLIFE誌の写真家の写真と見比べるのも面白いと思います。同じ街の写真でも違いがあります。

〔入口入って奥のほうにあります。左上隅の本の表紙はファイニンガーの写真ですね〕

今回の写真展は10/5までですが、10/8からは「アンドレアス・ファイニンガー写真展-Andreas Feininger’s PENTAX Works- PartⅡ 自然と形象」が開催されます。
写真の可能性を研究してきた彼にとってPENTAXのカメラはどのような位置づけだったのか。さらに彼にとって写真とは何だったのか後編で深堀してご紹介したいと思います。

最後ですが写真評論家という職業を初めて聞いた方もいらっしゃるかと思います。
タカザワさんに評論について伺いました。
:写真を評論することとはどういうことなのでしょう?
:雑誌とか新聞というメディアが生まれたときに美術表現とか文学表現とかを一般の人にもわかるように解説する必要も生まれました。
その解説することが評論だと思うのです。ジャーナリスティックな要素と専門分野への知識を持ち、それをだれが読んでもわかるようにするのが評論家ですね。
:評論を書いていらっしゃるのは雑誌でしょうか?
:そうですね。東京新聞で月に1度、ほかに「フォトテクニックデジタル」に連載しています。最近では芸術新潮の2020年9月号で倉田精二さんについて書いています。

写真に興味のある方は写真評論家の評論を読んでみてはいかがでしょうか。
写真に対する見方が変わるかもしれません。
また、リコーイメージングのリコーフォトアカデミーでは写真に関する教養講座が開かれています。
ちょうど今回のモダニズム写真に関して学べる写真史講座が開かれたばかりです。ぜひ参考にしていただければと思います。

リコーイメージング東京にご来館いただく際、以下のご協力をお願い致します。
・入口にて検温させていただきます。(非接触型の体温計を使用いたします)
※37.5℃以上の方のご入場はお断りをさせていただきます。予めご了承ください。
・手の消毒を行ってからの入場にご協力をお願い致します。
・来館時には必ずマスクの着用をお願い致します。
・過度に混み合わないよう、状況により入場制限をさせていただく場合がございますのでご了承ください。
・場内では、お客様同士のソーシャルディスタンス(約2m)の確保にご協力ください。
以下に該当する方々の来館をご遠慮いただきますようお願いいたします。
・咳の出る方
・37.5℃以上の発熱の有る方
・その他体調不良の方