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2019.12.03 | こばやし かをる

『記録と記憶の間』こばやしかをる

伝えたい事の一つに日常がある。 特別ではない日のこと。   それは東日本大震災でより明確化した。 大袈裟に聞こえるかもしれないけど、きっかけになったことは間違いない。 新聞に記されたある老婦人の言葉が胸に刺さったからだ。   「ぜーんぶながされちまったんだよ、津波にさ。あの人と写った大事な写真もさ。」 「- でも生きているうちにまた会いたいね。会いに行かなきゃね。」   彼女の言葉の最後に希望があった。〝生きているうちに。〟〝また会いに行かなきゃ。〟 今から、今日から。 また新しい日々がやってくる可能性を感じ安堵した。 キレイゴトではなく、日々がやってくる幸せだと感じた。 きっと皆同じように感じたのではないかと思う。   あの日無くしたモノの中で一番大切だと言われたのがアルバムに収められた写真だという。 生まれたての姿、わんぱくな園児のころ、背中より大きなランドセル、ぶかぶかで馴染んでいない制服、親と一緒に写真を撮ることを恥じらう思春期、一生に一度の晴れ着姿、涙をぬぐう結婚式…どこにでもある光景だろうと推察できる。 だが、デジタルカメラになって、スマホで撮れるようになって、アルバムに収められる写真が減っているという。切ない気持ちもあるが、時代とともに変化していくことも当然なのだ。   しかし、紙にプリントされ、手にした「形となった写真」には誰かの思いが必ず宿る。   一枚の写真の力を信じてやまないのである。 そんな自分も家族の写真を最後にいつ撮っただろうか。と振り返るが、いつ頃だったか、その写真がどこにあるのかはっきりとはわからない。自堕落なことを反省する。   大切なことや、大切な人はいつもそこに在ると信じたいが、もしいなくなったら?あの日見た景色が全く違ったものになってしまったら…。そういう日が突然来ることもあるのだと思うと、シャッターを切るときに「残したい写真」を意識してみるのもよいのではないかと思うのである。 何気ないけど知らず知らずのうちに撮っている写真の中に、気が付けば「あの時撮ったあの写真」といわれるモノ。そんな何気ない光景。そこに、大切な時間が記録されているものだ。   たとえば、私自身が存在しなくなっても、残された写真の中に幸せな気持ちや時間が映り込む。 そんな日々の記憶を撮り続けていたい。

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