“気づき、発見、再確認。あらためて振り返るそんな時間も写真日和だ。”

 

2021年盛夏 久しぶりにsmc PENTAX-DA 21mmF3.2 Limitedレンズ着けて街を歩いた。

このレンズだけで出かけた。というのが正しい。2年ぶりに行った場所は、それまで見慣れたお店も閉店し、空っぽになったショーウインドーに“テナント募集”の貼り紙が目立つ。活気のある街だったし、いつもならファッショナブルなものを求めて往来する流行に敏感な人たちがいるはずなのだが、道すがら数えるほどしかいない。仕方のないこととは言えやはり寂しく感じるものだ。

 

カフェやサロン、ブティックには人影がほとんどない。そんな今も残しておこう。

 

数路線電車の走るこの街へのアクセスは、いずれも駅から10分少々。用事を済ませてどの駅から帰ろうかと考えながら歩き始めると頭上を飛行機が突き抜けていった。

「そういえば、今まで上空を飛行機が通ることもなかったんだ。」と慌ててシャッターを切った。夏の暑さが厳しかったが、かえってそれが気持ちよい写真になった。

 

夏の雲は白さが眩しい。飛行ルートにもなったのかと感慨深かった。

 

サクサクと歩き始めると「あの店にはいつ頃来たっけ?」とか、「あの人と食事したお店に行く道だ。」「あのカメラ屋さんまだあるのかな。」「撮影会もしたんだな。」など、いろいろと思い出す。普段気にすることはなかったけれど案外接点もあり足を運んでいる街であることに気づいた。ほんの5分ほど歩いただけで記憶がよみがえってきたことで、やはり歩くことが大切だと実感する。

 

撮影会で通った場所。皆がどんなふうに切り取ったか、表現したかを思い出す。

 

脳裏の記憶をたどっているうちに駅についてしまうので道すがら被写体探し。探すと言っても大袈裟なことではない。気になったものを撮ってみればいいのだ。誰かがそばにいて見ているわけでもない。Candid photoという言葉があるように、なんでもなくても撮ってみるのが大事なのだ。
そして今日のレンズは1本だけ。条件はこれだけということになる。

 

夏の暑さと眩しい光にはモノクロームが似合う

 

カメラがなければ目を向けないだろうというものも多い。そして、このレンズならどこまで写せる?どういう距離感で?どう切り取る?など、自問自答しながら初心者になったつもりでもう一度撮ってみる。その反芻は不可欠だ。

撮り続けていないと単純なこと故に忘れがちになるし、感覚は鈍っていく。

 

スナップシューターは一つの場所へ足しげく通い、街との接点をつないでいく。スナップに限ったことではないが、何度も通う場所にも新たな発見はあるし、来ない間にあるはずのものが消えてしまって哀しく感じることだってある。自分自身がその心の動揺を感じられるか。それこそが肝だろう。

撮ろう、撮りたい、この目で確かめたいという思いにつながるのか。

 

真夏の静かな街が教えてくれた。

今日も写真日和だった。