>>English Page:The road to bringing K mount to birth was a long way

こちらでは初めまして。PENTAX Facebookページでもライターを務めておりました、ラリーです。
いよいよ来月27日にPENTAXの起源となった旭光学の誕生から100年目の節目を迎えます。メモリアルイヤーということで、あらためて昔の文献に目を通すことが多いのですが、今回はその中から見つけた、ペンタックス一眼レフが現在のKマウントを採用するまでの紆余曲折を少しだけ紹介させていただきます。

1952年に国産初の35ミリ一眼レフカメラとなるアサヒフレックスI型を発売して以来、クイックリターンミラーを搭載したアサヒフレックスII型シリーズへと順調に進化を遂げていたアサヒフレックスですが、その次のモデル(開発当時はアサヒフレックスIII型)にはアイレベルファインダーの採用が製品仕様に盛り込まれていました。
その他にもマウント口径をそれまでの37mm口径から大口径レンズ対応を見据えて口径をアップすること、そして新しいブランド名の採用なども企画段階から決まっていたようです。

この中でペンタプリズムを搭載してアイレベルファインダーを実現し、そこから製品名をASAHI PENTAXにしたことなどは有名な話なのでご存知の方も多いと思います。
ただ、マウントの変更に関してはその後長く続いたねじ込み式のM42スクリューマウントではなく、開発段階では早くもKマウントのようなバヨネットマウントの採用も検討していたそうです。
残念ながら当時社内で所有していた加工機械では量産ができなかったことなどやコスト的な課題もあり、採用は見送られましたが、その後も1960年のフォトキナで参考出品したスポットマチックや、1966年のフォトキナに参考出品した世界初のTTL自動露出一眼レフのメタリカ(絞り優先AE)、メモリカ(シャッタースピード優先AE)なども、スクリューマウントのままでの自動露出実現は難しいとされていたこともあり、開発初期の段階ではバヨネットマウントを採用していました。



最終的には、開発陣の独創的なアイデアのもと、従来マウントのままで1971年に絞り優先AEのアサヒペンタックスESが発売され、結果的にバヨネットマウントの採用は1975年のアサヒペンタックスK2、KX、KMまでずれ込んだことは事実です。

このタイミングでのマウント変更については厳しいご意見も頂戴していますが、開放測光と自動露出だけでなく、その後のプログラム露出やオートフォーカス対応、さらにはレンズへの電源供給まで見据えたマウントとしてKマウントは誕生しました。
もし、もっと早い段階でKマウントではないバヨネットマウントを採用していた場合、何が起こったでしょうか?
・・・一つ確実なのは、現在のカメラ名称であるPENTAX Kシリーズは、全然違うものになっていたでしょうね。