2023年4月にPENTAXから、モノクロ専用デジタル一眼レフが発売された。しかしこのカメラの価値は未だ、航空機写真の世界に知られてはいないようだ。この全3回連載では航空機撮影におけるモノクロ写真の意味、そして航空機撮影の意識を変革する「PENTAX K-3 Mark III Monochrome」の革新性について、クラブハウスで行ったセミナーの内容を追補したい。
航空機撮影と銀塩モノクロ写真の歴史
ご存知の通り、黎明期の写真はモノクロである。それは技術的な事情に由来するもので、将来目指す所はカラーの再現にあった。1950年代に萌芽した航空機写真文化の歩みも同様で、当初の航空機写真はモノクロが殆どだ。やがてカラーフィルムが普及し始め写真愛好家もカラー主体の撮影へと転換してゆくなか、航空機写真の先達にKodakテクニカルパンを応用するという流派が生まれた。テクパンと通称されるこの製品は文書複写用のISO25低感度硬調モノクロフィルムで、本来は通常撮影に適さない。これをPOTA現像という超軟調処理と軟調印画紙への焼付けという特殊技法により、航空機撮影に用いる勢力が出現した。狙いは35ミリ判の限界を超える精密描写で、ハイディテールな航空機写真の追求は、愛好家にとり理想にして不変の欲求である事が歴史を紐解いても分かる。その微粒子高解像力は35ミリ判にして低感度カラーポジの4×5判、ISO125増感でも同6×7判に匹敵し、カラーフィルム最高解像力を誇るKodachrome25、同64をもってしても、テクパンの極精細画質に裏付けされた高度な作品性の前には、全く歯が立つものではなかった。
更にそうした愛好家達はテクパン自家現像とモノクロプリントをマスターしており、適切に仕上げられた作品群のシャープさと端正な仕上がりは、カラー勢がどれほどギリピンフルフレーミングのダイレクトプリントで頑張っても、挫折と屈辱を覚えるほどはるかに卓越していた。こうした体験が重なりカラー派の私はテクパンモノクロ航空機写真にコンプレックスを抱き、ついぞ敵わぬ敗北感と共に銀塩撮影時代を終えたのである。その後デジタル撮影へ移行した私は高画素化するカメラの進歩と共に、カラー写真でテクパンモノクロ自家制作勢への雪辱を果たす手応えを掴んだ。職業としても銀塩モノクロフィルム、モノクロガラス乾板の手焼きプリント制作に従事し、その技術をデジタルカラー写真の現像とプリンティングに応用した。そうして自分は漸くカラー写真でテクパンモノクロ写真にリベンジする事ができたと自己満足していた所へ、「モノクロ専用デジタル一眼レフを発売する」という驚愕の一報がPENTAXから飛び込んだのだ。
テクパンの驚異再び、PENTAXが開けたパンドラの箱
新谷かおる氏作「戦場ロマンシリーズ」の一節に、写真員が放つ「ピンボケ写真は不発弾と同じだ」という台詞がある。その意と同様、普遍的な航空機写真において、シャープさと真の解像力は作品の根幹、生命である。流麗かつ精密な航空機のディテールを余さず捉え表す事は、航空機写真の説得力において不可欠の伝統的ファクターだ。ところで、モノクロフィルムはカラーフィルムに比べて乳剤層の厚みが薄い。このためモノクロフィルムは生来的に同感度のカラーフィルムよりも解像力で優る。また乳剤層が薄い事により光の透過率が高いため、同感度ならカラーフィルムよりモノクロフィルムの方が微粒子にできる。更に先述の文書図面複写用モノクロフィルムの高解像力は、上記の特徴と相まってカラーフィルムの比ではない。恐るべき事にK-3 Mark III Monochromeはこれらモノクロフィルムの優位点全てを、レンズ交換式デジタル一眼カメラで実現した。即ち、画素補間を要するカラーフィルター付きベイヤー方式撮像素子カメラに対し、同画素数なら解像力と感度特性、更には階調再現性でも勝るという圧倒を示して見せるのだ。
通説に倣えばK-3 Mark III Monochrome比でベイヤー方式カラー撮像素子の実質解像力は表記画素数の6割弱、像面位相差AF画素を含むミラーレス機なら5割と見てもよいだろう。加えてカラーフィルターレスによる受光感度の高さと全画素が輝度情報を生成する無補間処理により、K-3 Mark III Monochromeはベイヤー方式カラー機よりも低ノイズで階調豊かな撮像を獲得できる、という事実が辛辣だ。つまり「デジタルカラー画像をモノクロ化すればそれで事足りる」という従来のデジタルモノクロ概念は、画像品位という観点でK-3 Mark III Monochromeに通用しない。色情報を破棄したベイヤー画像はノイズが目立ち、階調は崩れディテール再現も落ちてしまう。モノクロ化カラー画像はK-3 Mark III Monochromeに照らせば、似て異なる別の物だ。その尺度で良いならK-3 Mark III Monochromeの画像クオリティは、APS-C 2573万画素にしてフルサイズミラーレス5000万画素にも優る。私はこれらの事実を体験してしばし絶望した。美しく精密な航空機写真の仕上がり、それを追求するならカラーは結局モノクロに勝てないのか。テクパンの屈辱をデジタルでもまた味わうとは、PENTAXはなんて事をしてくれたのだ、と。PENTAXが写真世界に向けて開け放ったパンドラの箱、私にとってK-3 Mark III Monochromeとは、そういう存在なのである。