夏の暑い日、あるイベントの撮影でトラブルが。「13時から16時に変更になりました」というメールを受けて、ああ暑いから夕方にするのね…と15時過ぎに現場へ行ったら、スケジュールが変更されたのは“13時から16時まで”だったという、ニホンゴムズカシイ的な問題だ。

当初聞いていたスケジュールは「13時半から16時半」だったのだが、余裕をもってスケジュールアプリに「13時から」と入力していたのが仇となった。その予定を聞いたのはかなり前。勝手に30分繰り上げたことなど、すっかり忘れていた。先方は「わかりにくい連絡ですみませんでした」とおっしゃってくれたのだが、僕がきっちり確認していれば起きなかった話でもある。撤収が迫る会場では“終わり間際に来たカメラマン”に対する痛い視線がブスブスと刺さり、全身に痛みを感じながらもろもろを撮影用に無理矢理再現していただいた。必要なカットを12倍速くらいでなんとかおさえると、暑さとは関係のない汗をかき、疲れ果てて現場を後にしたのだった。

その帰路、乗り換えで某中古カメラ店の前を通った。まあ行きにも通ったのだが、うっかり仕事前に立ち寄って、うっかり荷物が増えても困る。帰りにうっかり気が向いてしまったら寄ろうと思っていた。そして案の定うっかり気が向いてしまったのである。うっかりどころではないトラブルで疲れ果てているのにである。そしてショーケースの中にうっかりこれを見つけてしまったのだ。

リケノンP50mmF2である。というわけで先に説明すると、今回掲載している写真は、それをK-1 Mark IIに着けて撮ったものだ。

このリケノンの50mmF2は70年代半ばから80年代にかけて発売され、その光学性能は高い解像力を誇ったライカ・ズミクロン50mmF2(1st)に匹敵するともいわれた。それゆえ“和製ズミクロン”の愛称を持つ。もっとも今回見つけた個体は名称に「P」がつく1984年発売の5代目。“和製ズミクロン”と称されるのは、初代と2代目だ。いや、“和製ズミクロン”と呼んでもよいのは、最短撮影距離が0.45mで、鏡筒が金属製の初代のみだという厳格な方もいる(ちなみに2代目以降は最短撮影距離が0.6mで、鏡筒はプラスチック製)。

そもそも“和製ズミクロン”と呼ばれるきっかけになったのは、雑誌『アサヒカメラ』の名物コーナー「ニューフェース診断室」。1959年、沈胴式のズミクロン50mmF2を測定したところ、解像力は計測不能という結果に。これは“空気レンズ”を採用した、現在でも銘玉中の銘玉とされるモデルだ。さらに時代が下って1978年、リケノン50mmF2(初代)を測定すると、これもまた解像力が計測不能。記事には「ズミクロン50mmに匹敵する中央解像度」と記された。

ここで重要なのは、匹敵するのが中央解像度と部分的であるという点。僕もフィルム時代に使っていたので実感しているのだが、ライカ謹製レンズは中央から周辺まで描写性能が均一なのが特徴だ。だからリケノンがズミクロンと同じ描写性能だというのは極論なのだが、もともとは一眼レフのエントリーモデル・XR500とセットでサンキュッパ(39800円)。単品でも9000円だ。夢グループの保科さんはもちろん、石田社長ですら驚くほどの安価である。それがあの銘玉と大事な部分では肩を並べたということが、伝説へと昇華されていったのだろう。

ドイツの精鋭vs国産の新顔。これはまさに1964年、鈴鹿サーキットで行われた第2回日本グランプリと同じ構図ではないか。7周目、式場壮吉が操る当時世界最速のスポーツカー・ポルシェ904を、生沢徹のスカイラインGTが抜き、10万人の観客は興奮の坩堝に。まあ次の周にはポルシェが抜き返し、そのまま優勝するのだが、一瞬でも追い越したことから不人気だったスカイラインが日本中で売れまくった。そして今日のGT-Rへと続く伝説が始まったのとなんだか似ている。え、似ていませんか?

話がだいぶ逸れてしまったけれど、その“和製ズミクロン”および後継たちはペンタックスKマウントを採用しているので、僕もK-1 Mark IIやK-3 Mark IIIでそのまま使うことができる。当時はKマウントの特許が公開されており、リコーも独自の電気接点を加えたRKマウントとして展開していたのだ。だから僕もかねがね欲しいと思っていたのだが、50mmのオールドレンズなら初代スーパータクマー50mmF1.4やら何やらがあり、なんとなく手を出さずにここまできた。

しかし今、人気の初代ではないが、居酒屋1回分の金額で買える5代目が目の前にある。しかもよくみれば2本もある。光学系はどちらも良好。片方は使用感がほとんどなく、しかしピントリングはスカスカ。もう片方は使用感こそあるものの、ピントリングは滑らかだ。あなたが欲しいのは金のリケノンですか? それとも銀のリケノンですか? ハイ銀のリケノンです! というわけでピントリングが滑らかな銀のリケノンを手にして家路へ着いたのだった。

そしてそれをK-1 Mark IIに着けてあれこれ撮ったわけだが、機構上絞りの操作がやや煩雑。K-3 Mark IIIなら絞りリングが連動して便利だけど、50mmは50mmの画角で使いたいし、試しに絞って撮ってみたけど、よく写りすぎて他のレンズと変わらないし…ということですべてF2の開放で撮っている。

MFでのピント合わせは少々コツと勘が必要だが、ビシッと合えばシャープで繊細。その線を収差のにじみが包み込む。ボケは現代のレンズに比べるとさすがに粗いが、それが味になって令和の東京がレンズ発売当時のバブル期のようにも写る。そういえばインドのバラナシを撮りに行った藤原新也さんが、あらゆる標準レンズから収差の大きなものを選び(国産で安価な当時現行品。僕も使っていたが、よく写らないからと知人に譲ってしまった…)、すべて絞り開放で撮っていたという話を聞いたことがある。晴れた日にはNDフィルターを重ねて、暗いファインダーを覗いていたそうだ。

初代から硝材もコストダウンが図られ、5代目にいたっては平凡な写りというネットの評判も見るが、いやいやロングセラーの末っ子もなかなかの写りですぞ。ところで初代や2代目には“和製ズミクロン”とともに“貧者のズミクロン”という別称もあるのだが、僕は愛を込めてチープな5代目にこそ、その称号を分け与えたい。いや、ここは“賢者のズミクロン”とすべきだろうか。ライカのオリジナルを買う人もある意味で賢者だが、居酒屋1回分の値段で銘玉を味わうのも賢いカメラライフだと思うのだ。

まあ、そんな私事に賢さを発揮するより、仕事の時間を間違えるなという話でありました。ちゃんちゃん。