具体的な手触りを持って迫ってくる描写をするレンズというのはあまりお目にかかったことがないが、このレンズはその類のものである。このレンズとはsmc PENTAX-FA 50mmF1.4 Classic のこと。発売当初より気にはなっていたものの、いわゆる「虹色フレア」ばかり注目されることが多く、そちらの方面にはあまり興味がないわたしとしては、 単に気分が乗らなかったともいえる。

春と秋はお茶会シーズンである。春は横浜と京都で秋は川崎、ということで川崎大師でお茶会が開かれた9月下旬、K-3 Mark IIIとsmc PENTAX-FA 50mmF1.4 Classicの組み合わせで現地へと向かった。

お茶会当日の朝は前線の影響で生憎のお天気。これはちょうどいい。爽やかな秋空の下で軽快に撮るのではなく、このレンズは曇天の光でじっくり撮りたかったのだ。
早速家元の生けた床の間のお花に寄って一枚。最短撮影距離は0.45mなのでものすごく寄れるわけではないが、K-3 Mark IIIに装着した場合、76.5mm相当の画角になるのでほどよい距離感が奥ゆかしくてよい。

どうよ、と言いたくなるほどのとろんとした艶めかしさ。一枚撮ってすぐに気に入ってしまった。今回は基本的に絞り解放付近で撮影することが多かったが、シャープで解像力の高さを追い求めるレンズが乱立する昨今、このsmc PENTAX-FA 50mmF1.4 Classicのような絹のような陰影の表現と、やわらかな描写ながらそのものの手触りすら感じさせる微妙な光を写しとる力にすっかり参ってしまった。うん、買います。なぜもっと早く使わなかったのだろう。

撮影といってもわたしは写真係として来たわけではなく、あくまでお茶会の手伝いがメインなので、写真は手の空いた隙に撮ることになる。となると大事なのがファインダーである。

PENTAXのファインダーがすばらしいのは言わずもがなだが、ここで言いたいのはアイカップのすばらしさ。人間も40年以上やっていると当然老化する。肌の衰えは特に顕著であり、そのもっとも影響が出やすいのが目の周りの薄い皮膚である。ここに硬い素材のアイカップをぎゅうぎゅう押し付けたらどうなるか分かりきったこと。右目にくっきりとアイカップの跡をつけてお客様の前に出たら物笑いの種である。

長年一眼レフカメラを作り続けているだけあって、PENTAX機のファインダーまわりの完成度はずば抜けて優れている。仕事柄そこそこいろいろなカメラを使用するが、断言できる。女のまぶたに最もやさしいカメラはPENTAXであると。女たちよ、肌を労わるのであればPENTAXを使いなさい(男でもいいが)。

話が脱線した。そう、smc PENTAX-FA 50mmF1.4 Classicについて。まだまだこのレンズであれこれ撮りたかったので、お茶会を終えて家元が持たせてくださった上生菓子と時期を迎えたぶどうやらでテーブルフォトを。 なるほど、この立体感と餡の輝きを絵画的かつソフトに浮かび上がらせるこの描写。 さっきから「手触り、手触り」と騒いでいるのはまさにこの部分なのである。

と、なるとすればだ。気になるのがわたしが最も得意とする酒の場面でのごきげんスナップである。ボディAFなので駆動音がやや騒がしいのは酒の席のせいにして、少々フォーカスが迷うのも酔っ払っているためだとまるごと受け止めたくなるほどの魅力がこのレンズにはある。今回は虹色フレアの機会には恵まれなかったが、期せずして腕時計ボケが出現。今後もじっくり付き合ってみたくなるレンズだ。