「写真で伝えたいことはなんだろうか。」と写真を撮り始めたころに考えていた。誰にでもよくあることだ。撮った写真を見返すといつも「生活」があった。誰かが過ごしている場所や、かかわっている人々、物事や関係性に興味があって、その成り立ちがどういうプロセスなのか、偶然ではなく必然的にそこにあることに興味がわいていた。

写真家の写真集を読み解くとか、そういうことでは答えが見いだせない自分もいた。

30代半ば、レイチェル・L. カーソン著「The SENSE of WONDER」を古本で手にした。環境問題に深く興味があったとか、取り組んでいたわけではない。

ある程度ページが進みゆくと、子どもの頃に親しんだ感覚がよみがえり、とてもワクワクしたことを覚えている。日々限られた自然の中に虫を探し、草花を摘み、空を見上げ、夕焼けがきれいだと感じること。そしてそれを一緒に喜び、楽しんでくれる人たちが傍にいること。「知ること」は「感じること」の半分も重要ではない。という、そんな彼女の感性に惹かれた。自分が確信を得たかったことがそこに記されていた。

この本との出会いは、“日常は素敵な出来事であふれている”と気づかせてくれた。そして写真を撮る上で自分の身の回りに注力しゆく力になったことは言うまでもないのだ。被写体を限定する必要もない。わたしの中から小さな物事の発見力である「ご近所フォト」という言葉が生まれたきっかけの一つともいえる。

無論、誰しも生きてきて体験したことや経験したことが作品を作る背景になっていくのだが、そこに自分なりのスタイルがあればいい。と思った。

わざわざ出向かなければ撮れない写真ではなく、人それぞれに生活する環境で変わる「ご近所フォト」の面白さ。心の余裕を伴にして歩きながら「毎日をステキにしてしまえ。」といった、ちょっとした呪文のように写真を撮っている。それは旅先でも変わらないし、きっとどこにいても同じだだろう。

経験と言えば、僅かな経歴だがデザインや企画の仕事をしてきたことも写真には大きく役立っていて、物事を客観的に捉えることやフレーミングに影響している。

写真にはある程度のほどよい距離感が必要で、感情にのみ込まれずに考え行動できる状態や、相手(物事)を尊重して客観的に捉えることで見えてくるものがあるからだ。

相手の魅力は何なのか?を感じる・考える。

「好き」から離れ距離を保ち見つめる。

時に直接話をしてみる。

デザインもプランニングも考え方は大きく外れないと言っていい。

“感じ得る”というのはそういうことなのではないかと思うと、やはり「The SENSE of WONDER」に通じていく。ファインダーをのぞいて見つめ、シャッターを切るその行為は、自分と相手とが対峙しながら関係性を保つことだろう。

「写真で伝えたいこと」の答えは案外自分の身の回りでひっそりと息をひそめているものだ。