こんにちは
写真好き、かつカメラオタクの大久保(以下O)です。
パリにはプライベートでしか旅行をしたことがないのですが、それはそれはすてきな街でした。
ただ、片言の英語では街角でパンを買うにも一苦労で、コミュニケーションに困ることが結構ありました。
そんなパリですが写真はフランスで発明されたということもあり、黎明期からパリを撮影した写真家はたくさんいます。
ウジェーヌ・アジェ、スナップ写真のアンリ・カルティエ=ブレッソン、ロベール・ドアノー、、、。
そんな写真史に名を残す写真家たちと交流されていたのが、今回ご紹介する高田美さんです。
高田 美
1916年 東京生まれ
1947年 フランス通信社(AFP)東京支局の通訳兼助手として入社、ジャーナリストの世界に入る。
1954年 渡仏。写真家・木村伊兵衛がパリを訪れた際、通訳として付き、写真を撮ることを勧められてカメラを手にする。日本の新聞、雑誌に記事や写真を送るかたわら、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ブラッサイ、ロベール・ドアノー、ブーバ、デイヴィット・シーモア等と親交を結ぶ。彼らを日本に初めて紹介し、写真集出版(平凡社)の橋渡しとなる。
1955年 当時、新進気鋭のデザイナー、ピエール・カルダンのアトリエ撮影と取材に赴いた際、カルダンより評価され、その後の協力へとつながる。以降、カルダン作品の大部分を撮影する。
1957年 ピエール・カルダンのオートクチュール立体裁断初公開のプロデュースを行い、初来日に同行、熱狂的歓迎ぶりをカメラに収める。
1965年 初来日の写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンの日本ルポルタージュをプロデュースし、同行する。また写真集出版(朝日新聞社)に尽力。
1966年 文化出版局パリ支局の顧問に就き、日仏の文化交流につとめる。
1985年 フランス政府より芸術文化勲章を叙勲。
1989年 パリ市よりパリ名誉銀賞を叙勲。
1992年 パリ国立図書館に作品がコレクションされる
2009年 パリにて逝去
<良家の令嬢から芸術の都へ>
高田美(たかた よし)さんは、当時日本屈指の商社である高田商会の創業者一族の子女として幼年期を過ごされました。
馬車で学校に通っていたそうです。当時は「大正ロマン」で西洋文化が花開いた時期です。高田さんも時代の影響を受けたのではないかと思います。
美は体の弱い子であった。絵画や音楽が好きで、そのどちらかで身を立てたいと思っていた。彼女の興味の中心は、つねになにかを”創作”(クレアション)するという事だった。 これは重要なことで、後に、彼女の生き方を根本的に決めていく鍵になる。 |
(はっとりよしを手記「高田 美さんのこと」より引用)
高田美さんは戦後、通信社で働いたのち、わずかな資金を手に高度成長期の前の1954年に単身パリに乗り込みました。
1954年は海外渡航自由化の前で日本人出国者数はわずか3万人(2000年で1780万人)とまだ日本人が海外に行っていない時代です。相当苦労されたと思います。
渡仏後、名だたる写真家との交流を経てピエール・カルダンの片腕とも言ってよいポジションにつきました。高田美さんは多彩な才能の持ち主でしたが、ここでは主に写真家の面での高田美さんに触れていきたいと思います。
高田美さんが商業写真家になったきっかけは木村伊兵衛(※1)渡仏の際の通訳をされた時に「通訳だけではなく、写真を身につけて仕事に活かしなさい」と言われたのがきっかけだったそうです。
高田美さんと親交の深かった、はっとり・よしをさん(以下H)に高田美さんの人となりについて話を伺いました。
H:高田美はファッション界にモードを発信する記者としてどんどん業界に入っていきました。ピエール・カルダンがファッション界で注目され始めたころに初取材に行ったようです。
ピエール・カルダンは俳優ができるくらいいい男でした。ピエール・カルダンの専属写真家がけがをしてしまい、急遽高田美が撮影の仕事をしました。その後4年で彼女はピエール・カルダンの協力者のポジションを射止めました。
すごくポジティブな姿勢で小さなチャンスを逃がさない、勢いを感じるエピソードです。
そんな高田美さんはご自身の写真についてはあまり話をしなかったようです。
H:高田美さん自身はあまり写真の話をされませんでした。
「私の写真は素人写真よ。取材に来る日本人のカメラマンは、ぱちゃぱちゃしないと撮れないの?」と伺ったことはあります。
高田美さんはカメラをいつも持っていました。撮影は撮り直したりすることはなく大体1回しかシャッターを切りませんでした。
カメラを持ち歩き1回のシャッターで写真を撮るスタイルは木村伊兵衛の影響を感じさせます。
ピエール・カルダンのモード写真を撮る人が自分の写真を「素人写真」と呼ぶのはどういうことなのか。
そんな高田美さんの写真を見ていきたいと思います。
<パリのまなざし>
リコーイメージングスクエア大阪で、12/20まで、はっとり・よしをコレクション「高田美 パリのまなざし」が開催されています(>>写真展概要)。
展示は高田美さんがパリで撮影したスナップ写真です。
今回、写真評論家でリコーフォトアカデミー講師でもあるタカザワケンジさん(以下:T)にパリと写真の関係や高田美さんについて話を伺いました。
O:高田美さんはパリのスナップを撮っていますが、パリを撮っている人はたくさんいると思います。
T:パリは異邦人が名作写真を撮っている街です。『夜のパリ』のブラッサイ(※2)はハンガリー人ですし、エッフェル塔をグラフィカルに撮ったジェルメーヌ・クルル(※3)はドイツ人。イジス(※4)はリトアニア出身で戦中・戦後のパリを撮っていました。
パリには様々な国の違う文化の人たちを受け入れる土壌があって、コスモポリタニズムの文化ができています。それが高田美さんにとっても居心地が良かったのではないかと思います。
O:パリは芸術の都と呼ばれています。写真家と芸術家の交流は盛んだったのでしょうか。
T:パリには芸術家がたくさんいて芸術家同士の交流やコミュニティを写真家も撮影しています。
例えばアンリ・カルティエ=ブレッソンも画家、彫刻家を撮影しています。またブラッサイはピカソと交流がありました。写真と芸術の関係が近かったのです。さらに高田美さんの場合、そこにファッション世界がありました。ファッションとしてもパリは世界の中心ですよね。
写真と芸術とファッションの3つのコミュニティの接点になっていたのが、高田美さんだったのではないでしょうか。
そんな高田美さんが撮られたパリの写真をすこし見ていきたいと思います。
O:実際に写真を見た感想など伺えますか?
T:高田美さんの人柄の良さを感じます。好奇心が強そうですね。シーンに反応して撮っている面白さを感じます。
いい意味でテクニックにこだわらない、決まりすぎていない都市のスナップ写真ですね。
パリの自然な姿というものがあるとしたらこういう光景なんじゃないかと見る人に感じさせます。ファッション業界で仕事として撮影するだけでなく、並行して街のスナップを撮り続けていたことが興味深いです。彼女の中に仕事だけでは飽き足らないものがあったのではないでしょうか。
写真を始めるきっかけは木村伊兵衛かもしれないですが、ライフワークとしてパリという町に生きている人たち、街並みを写真に撮って残したいという意欲があったのだと思います。
パリに対する愛情を感じますね。今はもう高田美さんから直接パリのお話しをうかがうことができませんが、写真を通して、彼女がパリに対して感じていたこと、抱いていた愛情を想像してみる楽しみがあると思います。
確かに高田美さんの写真は撮りたかった事象が伝わる写真だと思います。何に興味を持ったかが伝わってきます。
高田さんは自分の興味に忠実で単身パリに乗り込んでいくほどの行動力をお持ちでした。その行動力の源泉となる旺盛な興味・好奇心はピエール・カルダンによるファッションの世界とパリの街並みに引かれたのではないでしょうか。
仕事でもあった煌びやかなモード写真とは別に、プライベートで自由に興味の赴くまま撮影したパリの写真のことを、ご自身はあえて「素人写真」と呼んだのではないかと思いました。
力みのない飾らない素のパリがそこに写っているのだと思います。
写真のプリントはピエール・ガスマン(※5)の工房によるもので、様々な一流アーティストと繋がりを築いた高田美さんならではだと思います。
ぜひ見に行かれてはいかがでしょうか。少し昔の日常のパリを感じることができるかもしれません。
※3:ジェルメーヌ・クルル(1897年11月29日 – 1985年7月31日)ドイツ出身の女性写真家。パリで写真集『Métal』を発表した。
※4:イジス(1911年1月17日-1980年5月16日)リトアニア出身の写真家。パリの日常を撮影。
※5:ピエール・ガスマン(1862年12月6日-1941年12月18日)アンリ・カルティエ=ブレッソンなどの写真家の作品のプリントを請け負う著名なプリンター。
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