モノクロ専用カメラ?
その言葉を耳にした時、反応にとても困った。
私は普段の生活の中で、気分によってはモノクロを撮ることもあった。
だが、それは遊び程度だ。
美しいモノクロの作品を撮ってみたいなという思いは心の片隅にはあったものの、いざ撮影してもしっくりこずに作品として発表することも無かった。
結局カラーで美しく撮ったほうがクオリティーが高くなってしまったからだ。
だから、初めて情報を聞いた時に様々な疑問が頭を飛びかった。
モノクロ専用機の意味とは。
もやもやしながら、頭の片隅へとその情報を追いやり、いつも通りの生活に戻っていく。
しかしその情報こそが、私にとっての新しい光の世界へと足を踏み入れる静かな合図だった。
そんなある日、商品企画担当の若代氏よりご連絡をいただいた。
内容としては、モノクロ専用機のPENTAX K-3 Mark III Monochromeを使って風景を撮ってほしいという依頼だ。
普段から森を中心とした光の作品を撮っているからと、若代氏が個人的に私にアプローチしてくださった。
作品展の施工をしている現場のバックヤードで「それ」を受け取った。
落ち着いたグレーで色入れされたPENTAXの文字とそれぞれの細かい仕様の変更には胸が踊ったものだ。
かっこいい。純粋にまずはそう思った。
色々と仕様については聞いた。
カラーフィルターが無い為、センサーのスペックを最大限に活かせる。
当時は私はその程度の理解だった。
それでどのくらい変わるのかもわからない。
さて、モノクロでの風景撮影か…
イメージはある程度できている。
ハイクオリティーなモノクロの作品を撮りたいと思ったことが幾度となくあったが、なかなか成功してこなかった想いが触発される。
いつも通り、空間を光で切り取るスタイルでいこう。
ひとまずは色々撮ってみなければわからないところもある。
そう思い、ファインダーを覗き、施行中の写真展会場にてシャッターを切った。
おお、美しい。
なんだ、この滑らかさは。
正体のわからない感覚に心を掴まれた。
次の撮影に出るまでしばらくはスナップを撮影してみよう。
きっとこのカメラならば今まで撮れなかったものが撮れるだろう、と。
さて、やっと展示や私生活が落ち着き、フィールドでの撮影当日だ。
久方ぶりの里山には山桜が咲き誇っている。
控えめなれど、その存在感に目を離せなくなる。
早朝の凛とした涼やかな空気を肺に取り込み、霧に覆われた世界を見渡す。
霧が強い光を内包している。
この条件は、白飛びしやすい。
カメラの性能を試すにはもってこいだ。
初めてのK-3 Mark III Monochromeでの風景撮影。
背面液晶で画を確認した時の、鳥肌が立つほどの感動を今でも忘れられない。
なんて美しいのだろう。
シャドウも潰れず、ハイライトも飛んでいない。
なおかつそれらの繋がりが凄まじく滑らかで、その感動は645Zを初めて撮った時の感覚に近かった。
自分の中で、今までの普通のカメラで撮影するモノクロ写真との絶対的な差別化がそこで起こった。
このカメラはすごい。
これならば撮れる。
今まで表現したかった、更に深い光の世界が。
自分の中で憧憬を抱いていた、クオリティーの高いモノクロの写真に手が届いた瞬間だった。
カラーフィルターが入っている普通のカメラとモノクロ専用機には絶対的な隔たりがある。
ものが違う。
K-3 Mark III Monochromeが描き出す画の美しさは異常とも言える。
私はPENTAXの色に惚れ込み、カスタムイメージを駆使して撮影する「撮って出し」という手法を使いこなしていると自負している。
PENTAXにしか出せない色がある。
そしてそこから私の色を見つけ出した。
その「色」という要素は私にとって欠かすことのできないアイデンティティーなのだ。
なのに、その「色」をあえて省くこと を受け入れてしまった。
今まで絶対に自分の作品として展示することのなかったモノクロ写真を初めて展示したいと思ってしまった。
こんなカメラが出るなんて。
それが率直な感想だ。
カラーであればISO感度を上げてしまうと、とても見れたものではなくなってしまう。
だが、K-3 Mark III Monochromeにはその概念が適用されない。
どれだけ上げてもそれは粒状感として捉えられるほどに綺麗で、作品として成立してしまう。
工夫次第では最高感度まで上げてしまっても面白い。
真夜中の森の中で手持ちスナップ撮影ができるのだから、その凄まじさがわかるだろう。
兎にも角にも、私はこのカメラをもう手放すことはない。
モノクロ専用機で撮る時の注意点としては、最初はカラー写真の撮影と頭の切り替えに手間取ることだろう。
色の世界であれば暖色系統など視認性の良い色や、黄色系統といった光が浮かび上がりやすい色をポイントとして撮ることができる。
だが、モノクロ専用機ではそうはいかない。
赤も青も材質や色の濃度が同じならほぼ同じ光の出方をしてしまう。
だからいつも撮っている感覚でカスタムイメージを使うと、画がうるさくなってしまったりするのだ。
必要に応じてはキー(中間調)のパラメーターをカラー時と逆の方に振る必要などが出てくる。
こればかりは光の反射率などを対象のマテリアルを確認しながら推測していくしかない。
ある程度の、世に存在する材質というのは決まっているのでいくつか覚えておけば対処は可能だろう。
もしそれでも難しい場合は、自分が今まで撮影してきたカラーの作品をモノクロ機で撮影してみるといい。
これはいける、これはカラーだと綺麗だったのにうるさいな、などだんだんカラー写真においての被写体の捉え方との違いがわかるようになってくる。
たくさん書いてしまったが、最も伝えたいことはPENTAX K-3 III Monochromeは素晴らしいカメラだということだ。
撮っていてとにかく楽しい。
透明度の高い美しいファインダーで見る実像から、モノクロで出る画を想像してシャッターを切るワクワク感がなんとも言えない。
そして大きく伸ばしても耐えることのできるその描写力には感服だ。
このカメラを使う楽しみと喜びを多くの方に知ってほしい。
そう願うばかりだ。