雪が積もったかと思えば、Tシャツ一枚で過ごせたり、かと思いきや突風が吹いたり、妙な2月であった。妙といえば僕もこの2月で50歳の大台を迎えた。振り返れば40歳になったとき、10年後何をしているかなど想像もしなかった。想像できなかったという感じかもしれない。10年後、自分に子供がいるとか、フルマラソンを完走するとか、ペンタックスの一眼レフを3台も持っているとか、しかもそのうちの1台はモノクロしか撮れないとか、まったく想像できなかった。未来は本当にわからない。

そういえば僕が写真をかじり始めた高校生の頃=1990年前後、50歳を過ぎて第一線にいるカメラマンなど皆無に等しかったと思う。ちなみに篠山紀信さんの「Santa Fe」が発売されたのが1991年。僕は高校3年生(ちなみに宮沢りえも同い年)で、篠山さんは50歳、つまり今の僕と同じだった。でも売れっ子というより大御所といった雰囲気を漂わせていたように思う。今同世代のカメラマンを見渡しても、売れっ子はたくさんいるけれど、大御所といえる人はいないと思う。だって70代80代でまだボールを投げてバットを振っているような大先輩がたくさんいるのだ。

1990年前後といえば、カメラメーカー各社が競うようにAF(オートフォーカス)一眼レフを発売。AFというものがプロカメラマンの実用に耐えうるものになった頃でもある。あるカメラ雑誌には「これでカメラマンの寿命が伸びるかもしれない」と書かれていた。70代80代のカメラマンが元気な今をみると、その予想は正しかったといえる。

ちなみにペンタックスのAF一眼レフ初号機は1981年発売のME-F…とする意見もあるが、専用レンズとの組み合わせでAFとなるカメラであり、その専用レンズは標準レンズ1本で終わってしまった。よって実質的には1987年発売のSFXといっていいいだろう。これは世界初のフラッシュ内蔵一眼レフでもあった。高校の写真部の先輩が持っていたが、なんだかおもちゃみたいだなぁ…とまったく興味が湧かなかったのを覚えている。今はそのおもちゃが欲しくて時々メルカリで出物を探しているのだから、未来は本当にわからないのだ。

もし100歳まで長生きするとしても、人生の半分はもう過ぎてしまったわけだが、わからぬ未来に向かってこれからも頑張ろうと思う。すでに100歳を超えているペンタックスもまだまだ頑張ってください、お願いします。