もう20年以上になるだろうか。毎年5月にはほぼ必ず京都を訪れている。伯母が煎茶道の家元を務めている関係で、この時期宇治で開催される茶会の手伝いのためだ。
新緑の時期の京都は美しい。宇治のあたりはさほど混み合っていないので、比較的落ち着いて街並みを楽しめるのもいい。
旅の友は K-3 Mark III に FA 43mmF1.9 Limited 。5月の京都へ来るようになってしばらくして使いはじめたレンズだから、こちらも約20年の付き合いである。この連載でも何度も登場している、定番のレンズだ。
土曜日、翌日の茶会の準備で訪れたのは黄檗山萬福寺。特徴的な回廊は何度見ても美しく、5月の強い日差しを優しく遮ってくれる。
家から離れた処に馴染みの場所があるというのはいいものだ。定期的に変わらぬ風景に身を置くというのは自分のホームであるような錯覚すら感じさせる。
京都での茶会は今年が最後である。母の一番上の姉である先代の家元が亡くなってから、三女の伯母が家元を引き継いだものの、すでに高齢ということもあり、遠方で茶会を行うことは達成感よりも疲労が勝るようになってきたのだ。
いざとなると寂しく感じるものだが、こればかりは仕方のないこと。友人たちにも来てもらい、和やかな席となった。
さて、翌日は撮影もかねて京都滞在である。前夜かなりの量の日本酒を摂取したにもかかわらず二日酔いもないようだ。やはりいい酒はいいねぇ、と酔っ払いのようなことをつぶやいてホテルを後にした。
この日は月曜日だったので目当てのギャラリーはほぼ休館、ということで向かったのは一乗寺。ここにも毎年欠かさず行く書店があるためだ。荷物が多いため2冊だけ手に取ってレジへ。ここでは2018年に上梓した写真集「浜」も取り扱っている。ありがたいことである。
そういえば腹が減った。バス停に向かう途中にあったおしゃれな洋食店と向かいの昔ながらの定食屋。3秒悩んできれいな光の入る定食屋のガラス戸を開けた。
注文したのはオムライス750円。当然カメラを構えたが、どうやってもピントが合わない。合唱音ばかりミンミン鳴いてせっかちな蝉みたいにも思えてつい笑う。ここは諦めて赤い福神漬が添えられた小ぶりなオムライスにスプーンを入れる。鉄のフライパンでよく炒められたケチャップライスがたいへん好み。
そりゃ20年も使っていたら不具合も出るわよね、とバス待ちの間設定を変えて試し撮りしてみたら、問題なく合うではないか。どうやら昨晩酔っ払った際に普段は触らない部分をいじってしまったらしい。
市内へ戻り、デパートでお土産の折詰を買ったら駅近くのいつもの居酒屋の暖簾をくぐる。ここはもう関所のようなものだ。前日の夜も来たような気がするが、細かいことは気にしない。カウンターに陣取ってまずはビールをぐびり。ポンから、というポン酢につけて食べるから揚げにお一人様には嬉しい小さなポテサラ。新幹線の時間まで30分ほどしかないので、テンポよくビールを飲み、続けてレモンハイでから揚げの油を流す。もはやおやつである。
帰宅すると愛する小花さんの出迎え。京都もいいけど家はやはりいい。鏡に映る疲れた自分の顔と愛機を見て、人も機材もそろそろメンテナンスが必要かしら、とその日2杯目のビールを空けた。