-もし生涯に1枚しか写真が撮れないとしたら大切な人のポートレートと答える人が多いと聞いたことがあります。そんなポートレート写真を生業としている写真家はポートレート(肖像)をどう考え撮っているのでしょうか?井出 眞諭さんに聞いてみました-
良い意味で写真はウソつきである、と私は常々思っている。
ふとした拍子に出る人々の一瞬の表情は、写真を通して時間を止める事ができ、
時として、肉眼でとらえた時以上の発見や感動を与えてくれるからだ。
そして私は人物を撮影する時、白い背景を好む傾向がある。
大自然や街中で撮る時とは違って誤魔化しがきかず、前後にぼかすものもない。
年代や場所の情報もない。
そんなシンプルで、非現実的な場所でこそ、その人の魅力を率直に表現できると信じている。
また作品を見る人には、
出来るだけ被写体と撮影者が対峙している様子や関係性が伝わらないで欲しいと思っている。
言うなれば、こっそり被写体を盗み見ているようなイメージだ。
もともとCandid Photoが好きだった事も理由のひとつとしてあるかもしれない。
人がひとりきりになった時の、憂いのある気取らない表情がとても好きだ。
そして、それが撮影者の意図で演出された表情であったとしても、
見る人には、
「きっと誰が撮ろうが、この時この人はこうゆう表情でそこにいたのだろう」
そう思って欲しい。
だからこそ私は、被写体の素の姿を残そうとしているし、
撮影者の作家的存在感などは邪魔な存在であるとも感じている。
ましてや、自分の作品を大衆の面前で自画自賛するなどもってのほかであると思うのだ。