“今日はどんな気分?何を選ぶ?”をテーマに写真とカメラの楽しみ方を広げませんか。
私はカラー写真が好きなのでモノクロ写真を撮ることはあまりないと思われています。それは決して間違いではないけれど、モノクロームの気分という時だってある。いや、気分というよりは相応しい光を目にしたとき、美しい影の在り方に出会えたときにそのスイッチが入る。
「今日はモノクロ。」と心に決めて歩く。そんな日は脳内がモノクローム。
造形美を捉えるためにモノクロで撮影してみるとよいとか、モノクロ目線を身につけるという言われ方、考え方もあるようですが、モノトーンで写真を撮るということは、光がどのように描いてくれるか「光を選ぶ」ことだと思っています。
そうすることに何か意味があるのか。と問われれば、多くの色で満ちあふれている日常の中で、様々な情報をそぎ落とし、光に敏感になることで自分自身が本来見つめたものや、そこから生まれてくる感情や言葉を感じること。
光を選ぶという点では、好みの光を探ることから始めてみるのもいいでしょう。
私自身がモノクロ写真を撮りたいスイッチが入る季節が夏と冬。この二つの季節の日差しはいわゆる、階調とコントラストを感じる光。
コントラストの強さの中にある階調、影の面白さ。シャドーからハイライトのどこまで写そうか。また陰影のメリハリをどう見せようか。
そんな風に考えながら路地裏で立ち止まった夏の日差し。
冬の夕暮れ時の光はどこか温かく、そしてどことなく懐かしさが感じられる。
太陽の位置が低いため、シルエットとなる被写体が画面のコントラストとなって生きてくる。
まだ寒い頃に咲く大島桜の花びらは白色に近く、その淡さは曇天を活かしてフラットな光で。モノトーンならではの優しく柔らかな階調が儚さを感じさせる。
フィルム写真を始めた頃、「光源を問わず光があればモノクロ写真は表現できる。」と知ったのは街頭の電球光。人工の光は、夜であればその時間とともにより魅惑的な要素を引き出してくれる。
こうして、モノクロ写真とひと言に言っても光の選び方によって表現も様々。
自分が何を伝えたかったのかを見失ったり、迷ってしまうことがあるなら、被写体探しではなく光を選び、モノトーンで撮ってみることで今まで見えなかった自分や被写体の本質、伝えたかったことに気づくことなのだと思います。
時には粗削りでもいいからモノクロ写真撮ってみませんか。
デッサン画のようにシンプルに〝光で描く〟そのことに通じていると感じています。
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撮影 :9/12(土)夜
オンライン講評会: 9/26(土)PM