これまで撮影にあたって大型カメラばかりを使用してきたわたしにとって、ファインダー内(この場合はピントグラス上というべきだが)の像とは倒立しており、さらに左右が逆転しているという状態がもはや慣れ親しんだ通常の“眺め”であった(※1)。

 

 

今回、商品企画の大久保さんから手渡されたカメラは無論のこと一眼レフである。センサーサイズはAPS-Cであり、なおかつそれにはマクロレンズが装着されていた。近年ではブローニー判のカメラを、合焦が可能なぎりぎりの撮影距離で使用することも多いが、あくまでそれは標準レンズを用いての話である。撮影像が被写体の等倍かそれ以上になるような接写行為とはほとんど無縁の写真生活をいままで営んできたといってもよいだろう。

 

 

言うまでも無く、いわゆる35ミリ判のカメラを使用したことがないわけではない。写真学科の初年度過程ではそれを用いて肉の痩せたネガを濫造してみたし、必要であればいまもこわごわと手にしている。ただ、APSというフォーマットに関しては、おそらくわたしが学生であったころには生産のほとんど末期を迎えていたはずである。
と、ここまで何やらクドクドと述べてきたが、とにかく、わたしにとっては馴染みが薄い機材ばかりが託されたことは確かだ。

せっかくだし、と日暮れにも構わず外に出て細い草が群生するなかにレンズを突っ込んでみる。日没後の光も相まって青みがかった緑の濃淡がファインダー内いっぱいに広がった。ゆっくりとピントリングをまわしていくと、滑らかに連続する色彩の中から毛筋ほどの確かな線があらわれてくる。小さな草の、さらにその先端のみが合焦した。風が吹けば、草が前後に揺らされて、すぐに画面は不定形の色彩に覆われる。風が止めば、また小さくとも確かな輪郭が、画面の中央辺りへと戻ってくる。

 

 

しばらくはシャッターを切らずに、この小さな窓越しに移ろう色彩の劇を、片目で眺めていた。いかに鼻先を草に近づけようとも、わたしの肉眼ではおそらくこのような映像を観ることは能わない。まるで自らの身体が縮小したかのような、その意味では、わたしだけに結びついた別の世界の現出とも呼び得るそうした映像に、いままで数え切れないほどの人たちが魅入られてきたに違いないと思う。

そんなとき、或るテキストの一場面がふいに思い起こされた。1974年、いまではそれぞれが巨大な一家を成したといってよい写真家たちが集い、寺子屋形式に受講者を募って運営された「WORKSHOP写真学校」。その機関紙ともいうべき雑誌の創刊号に発表された、写真家・荒木経惟の筆による「母の死――あるいは家庭写真術入門」と題された哀切な文章のことである(※2)。
作者である荒木の母や木村伊兵衛との思い出、そしてその死について私小説風に綴りながらもそれはきわめて切実な写真論をも形成しているのだが、そのなかで荒木が母の遺影を作成するために、ポラロイド写真を複写するという描写がある。クロース・アップ撮影のために被写界深度がきわめて浅くなった世界で、荒木は母の像と対面する。
それは荒木の身体の動きに対応して、ボケの中からあらわれ、そしてすぐにその中へと消えていく。「アサヒペンタックス6×7」に接写リングをいくつもつけて行われるそれは、どこか喪の儀式のようでもある。

ここできわめて大雑把に言い切ってしまえば、写真とは被写体からの反射光が感光材料になんらかの変化を生じさせることによって収穫される作物である。
その意味では、光を媒介として、被写体と写真の像は結びついている。思考にセンチメントを過剰なくらいに振りかけてみれば、そのようにして生じた写真の像には、かつて被写体に直接触れた光の残照が化石のようなかたちで残されていると言い切ってしまうこともできよう。であれば、母のうつるポラロイド写真を触れ合いそうな距離で眺めたとき、ただ一人でファインダーを覗く荒木の眼は、かつての母に間接的であっても触れていたのかもしれない。追悼とは、別れというよりも、幾度も出会いなおすことでもあるのだ。

 

 

このように写真を指標的な存在として前提にする思考は、現在ではもはやアナクロニズムとの誹りを受けるかもしれない。だが、一眼レフというシステムが可能とする体験には、単に視覚的あるいは映像的というだけでなく、ある種の触知的なものがあるようにも思えるのだ。どんなに弱くとも反射や屈折を経てわたしの眼に届く草々からの光が、夜の帳が下りるなかで佇むわたしに、きっとそのように感じさせたのであろう。

編集部注
※1)大判写真で使用される大判カメラではピントグラス上で像を確認する。その際、被写体の像は天地左右が逆転された状態となる。
※2)「母の死――あるいは家庭写真術入門」は『死エレジー 荒木経惟写真全集15』にも掲載されている。この記述だけ赤い紙になっているのが特徴。

〔こちらの記事の執筆に使用されたカメラの情報はこちら〕

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