>>前々回(第4回)の記事で、結びの言葉を「来年(注:2022年)はこの連載で七面山の写真をお見せできたらいいなぁ」と書いた。まあ来年のどこかで行けばいいや…と考えていたのだが、公式Twitterから煽られたので早速登ってまいりました。しかも登ったのは実は昨年=2021年。大晦日〜元日はすぐ隣の身延山で仕事なので、前日の12月30日に宿坊の敬慎院へ登り、大晦日の昼に下りた。本当はアストロトレーサーで満天の星空を撮るのが目的だったが雪で果たせず。しかし許可をいただいて、普段は撮影禁止の堂内などを撮ってきた。

標高1982mの七面山がそびえるのは静岡との県境に近い山梨県の南西部。その山頂からやや下った1700m付近に宿坊の敬慎院がある。隣の身延山の麓にある日蓮宗総本山・久遠寺の境内地(つまりお堂のひとつ)という位置付けで、山があるのは早川町だが、敬慎院の一角のみ久遠寺のある身延町の飛び地になっている。

 

姫路から来たというイカしたおじさんとすれ違う。七面山には毎年登っているが、敬慎院には20数年ぶりに泊まったそうだ。

 

表参道(登山道)は登山口が0丁、ゴールの敬慎院が50丁。これはほぼ中間の23丁にある中適坊。これらの札が納められたのは昭和40年代だと思うが、よく見るとあっと驚く名前が。

 

正月をはじめ年に3回、茨城から花を生けに登って来る先生たちがいる。その方たちも大きな花を背負って登るところだった。

 

人気テレビ番組「ポツンと一軒家」で有名になった39丁の晴雲坊。もうすぐ100歳、七面山に登る人を何十万、いや何百万と見てきたちえこおばあちゃんと2年以上振りに会う。元気そうで本当によかった。

 

鎌倉幕府への直言を繰り返し、流罪など受難が続いた日蓮聖人(1222-1282)は、晩年身延山(山梨県身延町)に籠って弟子たちと修行生活を送る。そんなある日、説法の聴衆に見慣れない美女の姿があった。日蓮聖人が「本当の姿を皆に見せてあげなさい」と諭すと、龍となって身延山の裏鬼門・七面山へ飛んでいった。それは法華経の守護神である七面天女だった。日蓮聖人は七面山に大明神を祀ることを願ったが、登山道もない山を登ることは叶わなかった。その師の願いを叶えるべく、高弟の日朗上人と、庇護者であった地頭の南部実長公が永仁5(1297)年、道なき道を登り、水を湛える美しい池に辿り着いた。その畔に社を建立したのが敬慎院のはじまりだ。

 

南無妙法蓮華経と唱えながら7周するとご利益があるという影嚮(ようごう)石。

 

七面山は殺生が禁じられている精進潔斎の道場。それゆえ、ここ10年ほどで鹿がだいぶ増えた。人間を蹴散らすように歩き、50mmでもこれくらいは余裕で寄れる。

 

延宝3(1673)年に建てられた本社。木材は近くで切られたのではなく、麓から引き上げられたという。350年前だから当然人力だ。

 

一の池と呼ばれるその池は標高1700mにありながら、枯れることなく水を湛えている(このときは凍って雪に覆われていたが)。敬慎院が開創される200年近く前から、修験道の行者たちがここで修行していたという。日蓮聖人も行者の存在を聞き、興味を示したに違いない。山岳修験の場ゆえ長らく女人禁制だったが、法華経の信仰が篤い徳川家康の側室・お万の方(徳川光圀=水戸黄門の祖母、8代将軍徳川吉宗の曾祖母)が、7日間麓の滝に打たれ女人禁制を解いた。その際にお万の方を乗せる駕籠の通り道として、滝の前から始まる現在の表参道が作られた。徳川家おそるべし。

江戸時代中期からは江戸から富士川を経由して身延山を参拝する“身延詣”が流行。さらにその先の七面山へ足を伸ばす客も多く、身延山と七面山を結ぶ身延往還を参詣客や地元住民が行き交っていたという。高度経済成長とともに登山口まで車道が整備されるが、そこから敬慎院までは今も長く険しいつづら折りの道を自分の足で登り下りしなければならない。標高差はおよそ1200m、ちょうど東京スカイツリー2本分だ。仕事前にささっと往復してお参りする地元の人もいるが、一般的には早くて3時間、お年寄りなどは7~8時間かかる。敬慎院に着いたら入浴(山の上だが風呂がある)や食事の後、御開帳と夕勤に出て就寝。疲れた身体を神仏に包まれながら夜を過ごす。翌朝は境内の遥拝所で富士山と御来光を拝み、下山するのが一般的な参拝のかたちだ。たぶん日本一お参りが難しいお寺だと思う。

 

一の池はなぜか撮り忘れたので二の池の祠を。六の池まで見た者はいるが、七の池は誰も見たことがなく、もし見たらそこに棲む龍神の怒りをかって目がつぶれるという。

 

敬慎院に着くのが日没を過ぎる参拝者もいる。もちろんそんな場合でも暖かく出迎える。

 

ありがたき御開帳の儀。

 

コロナ禍までは年間2万人とも3万人ともいわれる人々が、全国各地からそんな日本一お参りが難しいお寺を目指してやってきた。それでも昔を知る人は随分寂しいという。昭和の終わり頃までは昼夜問わず人々が敬慎院を目指し、部屋に収まりきらない参詣者たちは本堂や廊下に転がって眠っていたという。僕の祖父も菩提寺の住職や檀家衆と登っていたが(重たいカメラを持ってくるので足手まといだったらしい)、ご近所さんと登る山は江戸時代のお伊勢さんのような旅行的要素もあったのだろう。

僕が初めて登ったのは今から10年以上前だが、大勢の人たちが白装束で登る光景に「今って平成だよね?」と一種のカルチャーショックを受けた。その存在を伝えたい一心で今回のように撮影の許可をいただき、4年ちょっとの間、機材を背負って毎月登り続けた。その途中で「感應の霊峰 七面山」という写真集を出したが、出版後は当初の目的を思い返し、いろいろな人を山へ誘った。七面山は富士山のおよそ20km真西にあることから、太陽が真東から昇る春分の日と秋分の日には(晴れれば)見事なダイヤモンド富士を拝することができる。それに合わせてSNSやブログで呼びかけ、多いときは老若男女20名近い集団になった。なかには僕を含めメンバーの誰とも面識がない超はじめましてな方もいるが、みんなで登ると自然と仲良くなる。そして夜は酒を酌み交わし、同じ布団(七面山の布団は横に長いロール状)で寝る。延べ100人以上と一緒に登ってきたが、いい出会いや思わぬ再会があり、七面山がなければ僕の飲み友達の顔ぶれもだいぶ変わっていたと思う。

 

 

 

 

 

本社では夕勤と朝勤が行われ、参拝者はもちろん、全国から寄せられた回向や祈願も読み上げる。僕はもうすぐ行われる東京マラソンを走るので必勝祈願。目標は完走だけど。

 

敬慎院では祈願に来る芸能人やスポーツ選手の姿も珍しくないが、あるとき遭遇した某有名俳優さんはなんとペンタックス645Dを持参していた。境内や御来光を写していたが、カメラを構える姿が凡夫には真似ができないほど美しいというか、かなり個性的だった。そういえばカメラと登山が好きだと言ってたっけ。

そんな大勢の人たちを呼び寄せてきた七面山も、2020〜2021年の2年間はコロナ禍で団体の参拝者がゼロ。敬慎院には標高1700mとは思えぬほど立派な堂宇が立ち並ぶが、さらに1000人以上が食事をし、寝泊まりできる巨大な宿泊施設でもある。従事するお坊さんや職員も多く、個人客だけでは運営が厳しいのは想像に難くない。

敬慎院で一番偉いお坊さんは別当という役職で、身延山に点在する久遠寺の支院の住職が持ち回りで3年間務める。現在は清水坊の内野光智住職。湘南生まれで僕より若く、いつもニコニコ朗らかな別当さんだ。就任されたのが2019年8月1日なので、今年7月31日をもって退任。生涯に一度あるかないかの大役を、こんな最悪のタイミングで…と思うが、内野さんだから乗り越えられているとも思う。そういう巡り合わせもまた法力なのだろうか。

 

左が別当の内野さん。そして真ん中のお坊さんは敬慎院に勤めて9年になる古株の高野くん。敬慎院のインスタグラムも担当していて、エモい写真を撮りたいというので「ペンタックスのカメラを買うべし」と教えておいた。もう買ったよね?

 

玄関にはてるてる坊主が。

 

しかしこの日の朝日は雲の向こう、御来光は拝せず。ちなみに雲に隠れている左の山が富士山、右の湖のように写っているのが駿河湾。

 

冬休みで手伝いに来ていた内野さんの息子と、生け花の先生の孫が雪だるまを作っていた。

 

例年であれば12月の敬慎院はうっすら雪を被るかどうかだが、この冬は寒いようで、登り始めると途中から吹雪に。夜明け前に起きると、相当な積雪となっていた。気温はマイナス10度。1週間くらい前はマイナス16度まで下がったという。例年ならそこまで下がるのは1月終わりから2月のあたま。本格的に雪が降るのも2月。そして麓に桜が咲き始める春分の日の前後、ドカ雪が降って冬が終わる。この冬は少し早くやってきたようだ。

 

 

下山する頃になって太陽が姿を現した。七面山の天気はだいたいこのパターンが多い。

 

積雪もときに大きな被害を出すが、雪よりも小さな、たった0.0001mmというコロナウイルスに世界はこの2年近く翻弄され続けている。長く変わらなかったものも、これから大きく変わるかもしれない。実のところここ最近の七面山も高齢化などで信仰を抱えて登る人が減る一方、富士山の眺めが素晴らしいことから登山や撮影を目的とした個人客が増えていた。また年末には身延往還と七面山を走る「修行走」というトレイルランニングレースが行われており、試走や練習に来るランナーも多い。そうした信仰心のなかった人でも、お坊さんたちと仲良くなったり、神秘的な御開帳を受けることで、仏教を身近に感じるようになったとよく聞く。コロナ禍が明けて人々が蠢き始めたとき、自然と人間が1000年近く結びついた七面山に再び賑わいが来るような予感がしている。

 

〔こちらの記事内の作品は以下製品で撮影されています〕

>>PENTAX K-3 Mark III製品ページ

>>PENTAX K-1 Mark II製品ページ

>>HD PENTAX-DA★16-50mmF2.8ED PLM AW 製品ページ

>>HD PENTAX-D FA★50mmF1.4 SDM AW 製品ページ

>>HD PENTAX-DA 55-300mmF4.5-6.3ED PLM WR RE 製品ページ