こんにちは

カメラオタクかつ写真オタクな商品企画の大久保(以下O)です。
世間はなにかと騒がしいし、残暑も厳しいですね。今回はそんな地上の喧騒から離れることができる世界をご紹介したいと思います。

私は中学生のころ科学雑誌や図鑑で天体写真をみて、宇宙に心を馳せていた理系少年でした。
そんな天体写真を子供のころに撮り始め、社会人になってからはカメラメーカーで開発に携わり、今でも撮り続けている山野泰照さん(以下Y)。
比較的大きな規模の作品展としては初めての「>>虚空の如くなる心」が9月7日までリコーイメージングスクエア東京のギャラリーAで開催されています。
その展示についてお話を伺ってきました。

山野泰照

 

 

 

 

 

 

 

経歴
1954年 香川県丸亀市生まれ
1969年 天文雑誌にて作品発表を始める
1977年 カメラメーカーに入社
2017年 カメラメーカーを退職しフリー

著作など
1997年 デジカメではじめるデジタルフォトライフ (インプレス)
2015年 驚異! デジカメだけで月面や土星の輪が撮れる (インプレスR&D)
2019年 驚異! デジカメだけで月のクレーターや木星の大赤斑が撮れる (インプレスR&D)
2019年 超簡単 フィルムのデジタイズ (インプレスR&D)

<天体との出会い>

天体写真は自動化が進んでいる現在でも特別なスキルが必要とされるジャンルです。山野さんがいつ頃から撮り始めたのか興味があります。

O:いつ頃から天体写真を撮り始めたか、教えてもらえますか?
Y:(古い雑誌を取り出して)これは50年前の天文雑誌なのですが、いずれも私が撮った写真です。

〔左側が水星の太陽面通過、右側の表紙はベネット彗星〕

Y:高校1~2年生の頃、20世紀で最も明るくなった彗星の一つであるベネット彗星と水星の太陽面通過(太陽の表面を水星が横切る天文現象)があって撮ったものです。まだ本格的ではないのですが、露出とピントが合って追尾がちゃんとできているカラー写真が、当時としては評価されたものと思います。
天体写真としては、小学校3年生の時に親が望遠鏡を買ってくれて、カメラで月を撮ったのが最初です。
最初は天体に関して全く知識がなく、深夜にならなくても見える月で写真が撮れてしまったので面白くなったのです。当時はキャノネット(コンパクト銀塩カメラ)で、接眼部の隣に三脚を立てて何とか撮っていました。高学年になるとバルブで撮影することを覚えて星の軌跡を撮り始めました。
中学校に天文部はなかったのですが、理科の先生や街の写真屋さんと親しくなって学校やお店の暗室を自由に使わせてもらいました。
O:暗室を自由に使える環境は良かったですね。月を撮り始めてから他の天体に興味を持ち始めたのでしょうか?
Y:そうですね。撮れることが当時面白かったのです。記録とか表現がわかる前に「目で見たものが何かしら形として残せること」が楽しかったのです。
望遠鏡を使い始めたころに創刊2年目の天文ガイドを買い始めていて、こんな天体があるんだ、写真があるんだとわかり始め、自分に撮れるものを撮り始めました。
O:撮った写真は誰かに見せていたのでしょうか?
Y:学校の先生に見て頂いて指導をしてもらったり、子供の科学(雑誌)に投稿したこともありました。
高校生になると、ある天文現象が起きる前に雑誌社から、ページを空けておくから写真が撮れたら送ってほしいと依頼が来たこともあります。その一つが先ほどの水星の太陽面通過です。
何人かの方に声をかけていたと思うのですが。私の名前が古めかしいので年配の人と勘違いされたかもしれませんね(笑)。
投稿を一生懸命やったわけではないのですが、結果的にはこういった所で発表させていただくことができたのは幸いでした。
O:山野さんの場合、最初から観測と撮影がセットだったのですね。しかも誰かに見せてフィードバックする形が早くからできている気がします。
月が好きというのは撮り始めが月だったからでしょうか?

Y:好きなのは月に限ったわけではないのですが、私は実は出不精で、家から出るのが鬱陶しいのです(笑)。
おのずと自宅で撮れる被写体が多くなりました。別にほかの天体が嫌いというとわけではなく、チャンスがあれば撮っていました。
O:確かに今回の写真展も撮影地が自宅の写真が多いですね。
Y:自宅のほうが腰を据えて大きい機材を使って撮影できますし、デジタルの時代になると撮影後すぐに画像処理ができるのです。最近月や惑星の撮影では、一晩にファイルの容量で1~2TBの画像情報が撮れますから。
一方で最近は、タイムラプスムービーなどの作品作りのために出かけることが増えました。
O:山野さんのご自宅の設備がすごいですね。
Y:フリーになる時に、自宅でいつでも観測できるようにと設置しました。国立天文台の仕事も請け負っている協栄産業という望遠鏡ショップ(>>協栄産業株式会社)の皆さんと親しくさせていただいていますので、そこに工事を依頼しました。
単に望遠鏡が収納でき雨風がしのげれば良いというだけではなく、観測中や普段望遠鏡などの機材を保管しておく上でどういうところに注意しなければならないかなど、協栄産業さんは知り尽くしていますので、設計の段階から安心して相談ができたのは助かりました。

〔望遠鏡のためのコンクリートの基礎〕

〔ルーフを開けた状態〕

Y:望遠鏡のためのコンクリートの基礎に直接、望遠鏡の架台を据えるので、建物の床の振動が望遠鏡に伝わりません。
また、スライディングルーフ内はエアコンを設置していて、夏の日中に機材が高温になってしまうのを防いだり、観測を始める時に外気温との温度差を最小化できるようにしています。

最初にコンクリートの基礎の写真を拝見した時に、まるで現代美術の作品のように感じました。コンクリートの物体としての質感を基礎にして作り出される天体写真。
そこにアート性を感じるのですが、実際にはどのように撮られて、写真に仕上げているのか気になりました。

<天体撮影と写真作成>

O:小学三年生の時にコンパクトカメラで撮り始めた天体写真ですが、50年以上を経て、今はどのように撮られているのでしょうか。
Y:撮影機材だけでなく、デジタルの時代になって画像処理手法が大きく進化していますから、そういう先端のワークフローを活用しています。例えば土星や木星などの惑星の撮影では、静止画の世界では撮影コマ数、動画的な撮影をしますからフレーム数という言い方をしますと40万から50万フレームを撮影し、様々な処理をしながら静止画や動画を作り上げていきます。
機材の特性や気象条件などで撮影条件は変えますから、特に決まったルールがあるわけではないのですが、私の場合は1枚の惑星画像を作るのに多くの場合は1万フレームを撮影することを基本としており、木星などの自転の速い被写体の場合は、それを2分以内に撮影するなどの被写体に応じた最適化を考えています。
一晩でも気流の条件は変化しますから、チャンスを逃さないように、そういう1万フレームを一組として何セットも撮影することになります。
O:2分で1万枚となると約80枚/秒で撮るわけですね。まるで高速度動画撮影です。解像度は4Kや8Kで撮るのでしょうか?
Y:いいえ。惑星の場合は視直径と望遠鏡の性能(口径に依存した分解能)から、必要な画素数は決まります。よほど大きく高性能な望遠鏡でない限り4Kも必要ないのです。
私の所有している程度の口径の望遠鏡であれば、惑星の場合、撮影時の解像度はFHDより小さくても大丈夫です。

多くの画像から1枚の写真を作る手法は目的は違いますがポートレートで見たことはあります。ただ、1万フレームは初めて聞きました。
山野さんに50万フレームをもとに作った動画を見せていただきました。とても惹かれる動画だったのでこちらでも紹介したいと思います。

O:1枚の写真を作るのに1万フレームも撮る理由を教えていただけますでしょうか。
Y:二つの理由があります。「ノイズ」を減らすのと大気による「揺らぎ」に対処するために、多くの枚数が必要なのです。
特に「揺らぎ」は見かけ上小さい被写体を撮影するときには大変重要です。
地上からだと大気による「揺らぎ」があるため、被写体の形状がゆがんだ画像しか撮れません。真実の形状に近づけるために歪みを平均化するのですが、そこに多くの画像を使います。

つまり、それぞれの画像に記録されている被写体の形状は大気の「揺らぎ」によってゆがんでいますが、それをたくさん撮影するといろんな方向にゆがんでいる画像が得られます。
それを重ねること、画像処理の世界ではコンポジットとかスタックと呼ばれている処理によって、結果的に平均化され、被写体の真実の形が均一のボケた画像として生成されます。
その均一のボケた画像から、画像復元の技術で被写体の本当の高精細な情報を引き出して写真を作り上げます。1枚のゆがんだ画像ではいくらシャープでも被写体の真の姿とは言えないのです。
月の場合は明るいためS/Nが良く、拡大率は惑星のように大きくしなくても良いため、大気の揺らぎの影響は相対的に小さいことから、1万フレームは使っていません。

〔木星(1万フレームから創り上げた1枚の写真)〕

O:どのような撮影機材を使っているのでしょうか?
Y:市販されているデジタル一眼レフカメラやミラーレスカメラも使いますが、被写体や目的によってさまざまな機材を使い分けています。一般の写真ファンにはあまり馴染みがない機材としては、パソコンから制御する専用のカメラがあります。月や惑星の撮影では、一般のカメラでいえばクロップにあたるROI(撮影領域の選択機能)を使うと、必要な領域のみを効率よく撮影できるため重宝しています。

<理想の天体写真>

O:天体写真は操作や手順にミスがあると撮れないという印象を持っているのですが、実際のところどのようなものでしょうか?
Y:カメラの機能や性能が向上しましたから、天体写真の撮影そのものはずいぶん簡単になっています。ただ要求レベルが上がってくると、全てがうまくいって始めて理想の写真に近づくのですが、失敗すれば減点法で点数が下がっていきます。
O:なるほど。100点満点から少しずつ減っていく感じでしょうか?
Y:いいえ。もともと、地球上から撮っている時点で大気の影響は避けられないので、大気による画質への影響を受けやすい惑星や月の撮影では、画像処理でそういう影響を軽減するとはいえ100点満点はありえないのです。
例えば、今日は大気の状態が良いから一番良くて80点だなといった感じです。日によって最高の点数、目標の点数が変わるわけです。
天体望遠鏡で被写体を拡大して撮影する惑星や月は、地上にいる限り、大きな望遠鏡では限界性能が高いゆえに性能を発揮できない事が多いです。むしろ小さい望遠鏡のほうが限界性能に対して大気の影響の度合いが小さいですから、取り回しが良いことも含め満足できる可能性が高いと言えるでしょう。

それから被写体に応じて撮影や画像処理で注意すべきポイントが違い、ミスがあると画質が損なわれていくので、几帳面さがないと減点の項目が増えてしまいます。
O:几帳面といえば、インターネットで調べていて驚いたのですが山野さんは家族新聞を発行されていますね。
Y:はい。家族新聞は32年間続けていまして、最新号が209号になります。2か月周期くらいで家族、親族、親しい友人向けに発行しています。
最初は手書きでやっていましたが、時代の変化とともにワープロ、PCで制作するようになり、インターネットが普及してからは電子ファイルで配信するようになりました。

O:家族新聞は小学生から続けている天体写真と「継続し続ける」点で似ていますね。
山野さんはご自宅に天文台を作られるほどですが、究極的には自分用の天体観測用の人工衛星が欲しくなる感じでしょうか?
Y:いいえ。現実的な視点があるのでしょうね。自分が今できる範囲で楽しめればいいと思っています。
周りの人からは何か志があって計画的にやっている様に見えるかもしれないですが、実はいい加減なんです。
自分のこれまでの経験、周囲の人の影響やさまざまな環境があり、その中で興味の赴くままにテーマが生まれて取り組んでいるといえば良いでしょうか。
撮影、画像処理、そして最後には見せるというところまでテーマがありますし、技術はどんどん進化していますからテーマはつきません。

真実の姿を求め新しい技術をどん欲に使っていく姿勢。撮影は決まった動機がなくても、天気が晴れならば行うそうです。家族新聞を定期的に発行するのと同様に天体撮影が日常に組み込まれている様子がうかがえます。
創り上げた画像を人に見せる展示を行うには作品としての視点が必要に思われます。「写真作品」についてお聞きしました。

<写真展について>

O:写真展は初めてなのでしょうか?
Y:以前、別のテーマでグループ展を開催したり、書道と写真を組み合わせた展示を行ったことはありますが、今回のような規模の個展をやるのは初めてです。
今回は内藤先生から声をかけていただいたのが始まりです。
実は最初はお断りしました。
私の天体写真への取り組みはずっと修行中という考え方ですし、一つの被写体に対しても作品として、これがゴールとか完成ということはないものですから…。

ですので、まとまったものとしてこれが私の作品ですと提示できないという話をしたのですが、一度整理してみても良いのではないかと提案していただきまして、一度やってみましょうとなりました。
O:なるほど今回の展示は「現時点での」集大成ですね。
Y:そうですね。今の時点で個々の作品としても、仕上げ方、展示の仕方についても全力で取り組みました。

内藤先生からは天体写真の魅力を記録写真の事例として見せるのではなくて、写真作品として見せるとどういうことになるか、そこに私の哲学も感じられるものにしてほしいという要望を頂いていましたので、自分の思想や技量を再確認する良いチャンスになりました。
O:山野さんは写真に目覚めたときから、当たり前のように生活するのと同レベルで天体を撮り、また撮りながら進化している気がします。

作品と記録の境界の意識がないのですね。その意味では不思議な写真です。
Y:境界は全くないですね。機材にまつわる技術や被写体の真の姿をいかにしたら記録し表現できるかといった興味が科学、技術、それを使いこなすテクニックに結びついてきていると思います。
O:写真作品という意味で考えると、色をどう出すかというテーマがあると思います。

例えば馬頭星雲の赤は実際に人の目には見えないと聞きます。人の目で見られない赤は創り出す必要があり、そこに作品性が入るのではないかと思いますがいかがでしょうか?
Y:その辺は写真の世界でよく言われる「見たまま」という考え方が通じないということで、奥が深いですね。馬頭星雲は暗いところで大口径の望遠鏡では肉眼でも見えるという話があるそうですが、暗所視の領域と思われますから、きっと色は見えていないでしょう。
そうすると、Hαの波長は明るければこういう色に見えるはずだという理屈と天体写真の世界の共通の経験から、仕上げるべき色の方向性が決まってくるのではないでしょうか。

〔馬頭星雲(IC434)〕

O:そこに「美しさ」という基準が入ってくると、人によってはもっと派手な赤、地味な赤と別れると思うのですが、作品と記録の境界のない山野さんにとっては「美しさ」とは厄介な概念ではないでしょうか?
Y:厄介というよりは、楽しい、あるいは考えさせられるものと思います。私なりにいろいろな方の作品を見てきています。そういった経験の中で得られた最大公約数と自分の意見があり、私の色ができているのだと思います。
例えば、オリオン大星雲などは良い例なのですが、銀塩写真だとこうは撮れず、中心が飽和してしまいます。この写真はデジタル処理の特徴を活かしてハイライト部を飽和させずに、見た時のような印象にし、なおかつ暗い周辺部分も出すようにしています。

〔オリオン大星雲(M42)〕

O:銀塩写真といえば、山野さんの古いHPに「銀塩よりも銀塩らしいデジタル画像を作りたい」と書いてありました。
Y:あまり記憶にないのですが、2000年頃までやっていたHPの中のコメントでしょうか(笑)。
当時は、画像処理が過ぎることで発生するデジタル処理特有の現象が「デジタルっぽい」と否定的にみられることがありました。
最終的な表現に違和感が感じられるようではいけないということが根本にあり、当時は銀塩の素晴らしい画像が目標でしたので、新しい技術を使うとは言ってもその時代の美的価値観にそうものでありたいという意味で語ったものでしょう。
O:こちらの月の写真は結構解像感が高いですね。でもデジタルっぽさは感じません。

〔満月〕

Y:高いです。これは今回の展示用プリントのためにシャープネスを調節しています。
私は鑑賞条件に対する最適化という概念を持っていまして、これはプリントを少し離れて鑑賞するのに最適に仕上げています。
月は月齢によって全体のコントラストも違いますし、クレーターの影の出方も違います。ですので画質調節の面では、月全体のトーン、ローカルコントラスト、細部のシャープネスというあたりを鑑賞距離や鑑賞条件を意識しながら調節しました。コンピューターのディスプレイで鑑賞するのとは違った調節が必要になりますので、かなり時間をかけて仕上げています。

O:実際に月や天体の前に立てるわけではないですが、仮に立ったとしたらこう見える。人の目で直接見たような雰囲気を出したいということでしょうか。
Y:その通りです。人の視覚は知識、経験だけでなく興味などに支えられて識別能力が強化されるそうです。惑星は特にそうなのですが、微妙なところの模様は普通に写真に撮ると非常にわずかな違いでしかないのですが、観測に慣れた人が望遠鏡で見るとはっきりと見えるのです。

人の目と脳が処理してくれる結果なのですが、それを写真で見せようと思ったら適切に画像処理をしてあげないと目で見た印象に近づかないのです。
目で見た印象に近づけるための処理をデジタルの技術を駆使してやっているという感じです。

<虚空の如くなる心>

山野さんは公益財団法人冷泉家時雨亭文庫会員でもあり、和歌に対する深い造詣があるように伺えます。
今回のタイトル「虚空の如くなる心」ですが、西行法師の次の言葉から取っておられます。

紅虹たなびけば虚空いろどれるに似たり。白日かゞやけば虚空明らかなるに似たり。然れども虚空は本明らかなるものにもあらず、又色どれるにもあらず。
我また此の虚空の如くなる心の上において、種々の風情をいろどると雖も、さらに蹤跡なし。

O:タイトルを「虚空の如くなる心」としたのはなぜでしょうか?
Y:私にとっての天体写真は「死ぬまで修行すべきもの」と考えていまして、それをお伝えする言葉として一部を切り出しているために謎めいていますが「虚空の如くなる心」としました。この言葉は西行法師が歌を詠む姿勢について明恵上人に語った言葉の一部です。
私(西行法師)は月とか花の歌をたくさん詠んでいるけど、実体があると思っていない。西行法師は歌を詠む時に仏を刻むとか真言を唱えるといった境地(虚空の如くなる心)で一首一首心を込めて詠んできたということが語られています。もちろん私は西行法師のように修行もしていなければ平々凡々な人間ですが、私が天体写真を修行と感じていることが西行法師の歌を詠む境地と似ているのではないかというのが背景です。
「蹤跡なし」とは何も残らないということなのですが、虚空の如くなる心で、いつも全霊を尽くして撮影し、仕上げたいと思っているということです。
O:西行法師の歌に「行方無く 月に心の 澄み澄みて 果ては如何にか 為らんとすらむ」と月について詠った和歌があります。やはり西行法師の歌は意識されているのでしょうか?

Y:和歌の世界に詳しいわけでも親しいわけでもないのですが、西行法師の歌は好きですね。「いかにかすべきわが心」みたいなものが西行法師の心の奥底にあったようですが、自分に対峙する姿勢というものも含めて昔から興味を持っています。
O:西行法師が活躍されていた時代と現在で時間の差はありますが、宇宙の時間軸で考えればその差は一瞬です。西行法師と山野さんは二人とも同じ月を見ているわけですね。そう考えると山野さんの写真の見え方が変わってきますね。記録写真からずれていきます。無限の宇宙と心の無限がつながってきますね。
Y:月だけではなく西行法師や昔の人が見た風景はどうなのだろうというのは興味がありますね。実は大和路も撮っていまして、大和路の風景を前にして当時の人が見た風景がどのようなもので、何を感じたのだろうというのを考えながら、自分の心と向き合っています。

O:今日は長々とお話しいただいてありがとうございます。今後はどのような活動をされますか?
Y:他人から「良く続くね」と言われますが、やめる理由がない限り天体写真を撮るという修行を続けます(笑)。

子供のころから天体写真を撮り続けてきた山野さん。撮影し写真を作り続けることは修行であり終わりがありません。
人の目ではとらえられない色彩をあたかもその天体の前に立って見たかのように自然な画像として創り上げ、また人の目に見えるものを見たイメージのままに再現するために画像を創り上げる。
そのような画像を鑑賞条件に合わせ最適化されたモノとしての写真。この写真はギャラリーでしか見ることができません。
ぜひ直接、会場に足を運び展示を目で見てはいかがでしょうか。文字通り地上の喧騒から離れることができると思います。
実際に星の前に立つかのような経験が得られるかもしれませんね。さらにそこから人の心まで思いを馳せるかもしれません。

最後になりますが、山野さんは写真を創ってきておられますが、その静止画像からより魅力的な表現ができないか探求をされています。その表現の一つをご紹介したいと思います。
きっとこれも山野さんの終わりなき修行の一環なのだろうと思います。

 

 

今回、山野さんと内藤先生の対談を行いました。こちらもご覧いただければと思います。

山野泰照写真展「虚空の如くなる心」 Special Talk Part1

山野泰照写真展「虚空の如くなる心」 Special Talk Part2

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