こんにちは

カメラマニアかつ写真好きな商品企画の大久保(以下O)です。

写真を撮るのは好きですが、何のために?と問われるとちょっと困ってしまいます。
そもそも写真で何ができるかを深く考えたことがありませんし、インスタにupして自己満足に浸る程度です。目的を見つけたい今日この頃です。

山田淳子さん(以下Y)は、祖父の記憶をたどるため、その痕跡を追い求め写真を撮り続けています。
リコーイメージング東京のギャラリーRで「島々の記憶-色丹・国後・歯舞・択捉 原風景を巡る旅-」が開催されています(>>写真展概要)。

山田淳子

 

 

 

 

 

1982年富山県生まれ
2006年京都府立大学大学院 文学研究科 修士課程 国際文化学科 東アジア文化交流修了
2017年から2019年まで北海道の北星学園余市高等学校の存続応援写真プロジェクトに関わり、存続応援写真冊子「いまを、生きる−北星学園余市高等学校」の編集および写真展の企画に携わる。
2019年4月より市ヶ谷カロタイプ主催の赤城耕一氏、戸澤裕司氏のワークショップの助手として活動する。
<写真展>
2018年2月 グループ展「SHKAKU」にて北方四島回顧シリーズ「流浪」 ルーニィ247・ファインアーツ
2019年2月 「島々の記憶—色丹・国後・歯舞・択捉 近くて遠い故郷 私の血が繋ぐものがたり」 ルーニィ247・ファインアーツ

<写真家への道>

山田さんは学生時代に写真を学んでいません。大学院を卒業後様々な職業で働いておられます。

Y:2006年に大学院を卒業後様々な仕事につきました。写真に関係するより早くカメラの販売員の仕事を6年くらいしました。カメラを使う人と話すようになりました。
写真と触れ合うのは2012年くらい。知り合いの紹介で当時TOKYO INSTITUTE of PHOTOGRAPHY(以下TIP)で理事をされていた湯浅一弘さんと知り合いました。
TIPで開催されていた湯浅さんのイベントに顔を出すようになって、写真家の赤城耕一さんとも知り合いになりました。当時は写真にはあまり興味はなく、湯浅さんという個人に興味がありました。
O:つまり、写真とは関係なく、人に対する興味で人脈が広がっていったのですね。最近はワークショップの助手をされていますがいつ頃から始められたのですか?
Y:赤城さんのイベントで写真家の戸澤裕司さんと知り合いになり、戸澤さんが講師をされていた日本写真学院が廃校になったときに戸澤さんと何かをしようということでアシスタントを始めました。
O:様々なワークショップを開催されたと思いますが、そこで様々な写真を見てこられたのですね。
Y:サポートはしてきましたが、自分が写真作品を発表するということはありませんでした。私の妹のプロジェクトで、ある高校の写真集を作ることになったのが転機になりました。

インタビューから山田さんはコミュニケーション力に優れていることがわかります。人に対する興味から世界が拡がり結果として写真に触れていったようです。
その自分で人脈を広げて積極的に行動していくポジティブな姿は、松田洋子さんに似ていると思いました(>>松田洋子さんインタビュー)。

<いまを、生きる:写真で想い伝える>

北海道にある北星学園余市高等学校は全国から不登校経験者や高校中退者を受け入れる全日制の学校です。その学校が生徒数の減少により存続が危ぶまれてきました。
2018年度に1年生70名以上入学することが条件の一つになっていました。

Y:妹が学校を残したいと言ったときに、私に何ができるかと考えました。残したい気持ちを伝える手段として「写真」が思い浮かんだのです。学校の進学相談会に使えるような、学校の今を見てもらえる写真集を寄贈することを有志で始めました。写真の撮影を戸澤さんにお願いして、私は編集の取りまとめを行いました。
2018年3月に刊行して、各新聞社に配りました。学校には500部寄贈し、西新宿のプライベートギャラリーで写真展も開催しました。連絡した新聞社からは記事にしたいという話が来て、実際に記事にしていただきました。その活動の結果、2018年度は新入生は71名集まりました。そして、2019年度は70名以上の新入生と全校生徒が210名在籍することが存続の条件で、それをクリアできなければ、やはり募集停止になってしまいます。引き続き写真展を大阪府箕面市にある箕面市国際交流協会(MAFGA)と表参道のピクトリコショップアンドギャラリーで開催し、2019年度の存続条件もクリアして私たちの活動は終わりました。

「いまを、生きる」には生き生きと学校生活を営む個性豊かな高校生たちが映っています。

Y:このプロジェクトを通じて、写真の力で何かを成し遂げるということは非常にすごいことだと思いました。写真ができて、写真展をみんなが見てくれて、写真集も購入して見ていただける。その結果、新入生が70名を超えて学校は存続できた。これは写真じゃないとできなかったのではと思ったのです。
どうしてかというと、実際に写真展に足を運び、写真集を買うにはその人が何らかの意志を持って実際に行動しないといけない。その意志を引き出す力が写真にはあり、YouTubeのような動画ではなかなかできないと思うのです。また連続的な動画ではなく、写真集だと手元に置き見たいときにパラパラめくって見ることができます。パソコンの画像データだと壊れたら見れなくなりますが、プリントという実際の物だからこそ残る世界があると思うのです。その力というのは古臭いと言われるかもしれないですが、その写真の力を実際に感じたときに私の「想い」を写真で伝えたいと思ったのです。

山田さんのその「想い」は自分の知らない祖父の記憶を感じることです。今回の「島々の記憶-色丹・国後・歯舞・択捉 原風景を巡る旅-」は歯舞群島の中の志発(しぼつ)島に住んでいた祖父の記憶を北方領土の元島民の方々のポートレート写真から探っています。

<島々の記憶>

写真展は元島民の方のポートレート写真で構成されています。合間合間に象徴的な写真が挿入されています。
一般的に記録写真としてのポートレートは構図や撮影シーンに統一感を出して、人物像を浮き彫りにしますが、今回の写真は一見バラバラに見えます。

O:今回のポートレート写真は撮影場所が家の中や屋外と統一感がありません。人によって撮影条件が異なるようですが、どのように撮影条件を決めていったのでしょうか?
Y:入り口入って右側は富山県黒部市に在住の元島民の方です。最初は黒部市の今生活している風景をきちんと入れて全身を撮るつもりでした。元島民の人たちが今現在どういう所で生活をしているかを背景と一緒に撮影したかったのです。ただ、撮影を進めていくと雨が降ったりして、建物内部で撮らざる得ない場合もありました。ご自宅の雰囲気を撮りたくなった方もいます。人によっては撮影場所を指定されることもありました。モノクロにしたのは人物を深く見てもらうためで、色はいらないと判断したのです。
:確かに島民の方の個々の事情を写真からうかがうことができますね。こちらの古い写真を複写した写真が気になるのですが、写っている古い写真にはどのような背景があるのでしょうか?


:これは島民の方が島から持ってきた写真たちです。島から持ち出せるものは限られているので、持ってこられた写真を複写しました。
:なるほど、島民の方々の記憶の記録ですね。ほとんど荷物を持てない状況でも、これだけは置いていけなかった。とても大切な写真だったのですね。ここからも写真の力を感じますね。

モノクロの写真を見ていると様々な思いが頭を去来します。この人はどういう人生を歩んできたのか、楽しかったのか、つらかったのか。写真には言葉は書いてありませんが何かが伝わってきます。このいろいろ考えさせる作用は写真ならではだと思います。今回の展示の直前2021年1月末にフォトギャラリー「ソラリス大阪」で開催された写真展「島々の記憶」(>>写真展概要)では、色丹島の風景や現島民であるロシアの人の写真がありましたが、今回の展示にはありませんでした(>>ソラリス大阪での展示の様子)。

O:ソラリス大阪の展示とは違い、日本の元島民のポートレートのみで構成したのはなぜでしょうか?
Y:昨年、コロナ禍の影響で北方領土に行けなかったからです。ソラリス大阪の写真展では2019年当時の写真を使用しました。今回の展示は2020年の写真で構成したいという思いがありました。
:それは残念です。北方領土の写真見たかったです。ところで、「ソラリス大阪」でのトークイベントで、現島民のポートレートは写真はコミュニケーションツールにもなるインスタントカメラで撮影されたと伺いました。見せていただけないでしょうか。
:こちらです。

現島民の子供がインスタントフイルムに楽しそうな雰囲気で写っています。普通の子供たちです。今回の展示されている元島民の写真と違い軽快さをとても感じます。現在、山田さんはロシア語を勉強中とのことで、持ち前の高いコミュニケーション力を活かし現島民のポートレートも撮り続けていくと思います。元島民と現島民のポートレート写真。見比べると様々な問題や想いについて考えさせられます。

:祖父の記憶をたどりルーツを探る旅を始めて2年ほど経過しました。手ごたえはいかがでしょうか?
:まだわからないというか、、、祖父のいた島の人たちに共通している話があるので、祖父も同じ経験をしていると思うのです。ですが、もっともっとたくさんの人の話を聞いて写真を撮って理解を深めていきたいと思います。まだ旅の途中です。
:現在の色丹島は当時の日本とは雰囲気が変わってしまったと思うのですが、そこに祖父の痕跡はありましたか?
:色丹島には見いだすことができませんでした。ですが、そこには懐かしい風景がありました。道路にはアスファルトがなく、日本で使っていたであろう軽トラックが走り、木製の電柱が立っています。今にも崩れ落ちそうな建物もあります。それは、遠い昔に日本人が見ていた風景につながるような気がしています。さらに元島民の方の古いお墓が残っていたりします。ここに日本人がいたんだなと実感しました。

:祖父のいた志発島は今は無人で誰もいません。祖父も見ていたであろうホテイアツモリソウが咲いているときに志発島に行きたいと思っています。志発島の土を踏んで、そこの風景を見たときに何か思うことがあると思うのです。
:今後はどのような写真を撮られますか?
:今まで元島民の方、約30名のポートレート撮影させていただいたが、引き続き元島民の方のポートレートを撮りたいと思います、余裕があれば風景は入れたいですね。皆さん高齢になっており、あと何年できるかわからないのですが、できる限り撮りたいと思います。あと、樺太に行きたいと思っています。元島民の方々は樺太経由で日本に来られました。樺太の真岡の女学校が収容所になっていたということです。樺太で引き揚げの時に多くの方が亡くなったと聞いています。実際、私がインタビューした方の中にも妹さんを樺太で亡くした方がいらっしゃいました。だから一度樺太はこの目でしっかりと見ておきたいと思います。

<コミュニケーションを続けること>

元島民が参加された、航空機慰霊の写真があります。

 

二人の女性が窓の外を見ていますが、窓の外は白く何も見えません。

:航空機慰霊の飛行時間は約1時間で日本の領空から島々を望みます。もっとも島が見える地点で数分間安定飛行に移り黙とうをします。黙とうの時間は5秒です。根室沖から見る感じなのですが、雲がすごくかかっていて島はほとんど見えませんでした。国後島ははっきりと見ることができました。

1時間の飛行時間。距離はとても近いのに、遠くから見ることすらもままならないのが現状です。
今後も山田さんは元島民の方々と現島民の方々とコミュニケーションを取り続けると思います。また、それぞれの生活の場である風景とそれぞれのポートレートを撮り続けます。
いつの日にか、そこに祖父の記憶を見つけると思いますが、その際に山田さんの写真を使った島民同士のコミュニケーションが進む可能性があると思います。その時、写真が持つ人の思いを伝える力が何らかの化学反応を生む可能性があるのではないでしょうか。

山田さんの写真は2/15まで、リコーイメージングスクエア東京で見ることができます。
緊急事態宣言が継続されている現状で10:30~16:00までの短縮営業となっておりますが、マスクをしっかりしていただいて、見に来られてはいかがでしょうか。
きっと、写真の力を感じることができると思います。

リコーイメージングスクエア東京にご来館いただく際、以下のご協力をお願い致します。
・入口にて検温させていただきます。(非接触型の体温計を使用いたします)
※37.5℃以上の方のご入場はお断りをさせていただきます。予めご了承ください。
・手の消毒を行ってからの入場にご協力をお願い致します。
・来館時には必ずマスクの着用をお願い致します。
・過度に混み合わないよう、状況により入場制限をさせていただく場合がございますのでご了承ください。
・場内では、お客様同士のソーシャルディスタンス(約2m)の確保にご協力ください。
以下に該当する方々の来館をご遠慮いただきますようお願いいたします。
・咳の出る方
・37.5℃以上の発熱の有る方
・その他体調不良の方