~広い広い世界を、自分の思い通りに切り取れるなんて最高じゃないか。

第14回「人生を切り取る」

50歳を過ぎてから、懐かしい友人から突然連絡がくることがある。根なし草のように住所を転々としてきた私の連絡先がわからなくても、今はネットで検索すれば、なんとでもなるようだ。手紙や電話なら気がひけるが、メールやメッセージなら、それもない。

50歳といえば、とっくに人生を折り返している。もう人生の仕舞い方を考え始めるころだ。順調に歩んでいれば、生活も安定して、子供がいても手が離れ、仕事的にもある程度先が読める。生活や仕事がひと段落すれば、自ずと昔のことを懐かしむ時間が増えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

「元気でやってるか?」友人からの連絡は嬉しいものだ。損得勘定のない友情は、何年経っても昔のままだ。一緒に過ごした学生生活、黒板を背中にした友人の笑顔が目に浮かぶ。心のアルバムは、きっかけがあれば、いつでも見ることが出来る。

 

 

 

 

心のアルバムのために、人生を切り取ろう。人生を切り取るとは、少し大袈裟かもしれないが、今、昔を思い出して写真を撮ってみてはどうだろう?

 

 

 

 

 

今回の相棒は、KP+HD PENTAX-DA 40mmF2.8 Limited。
最近、訳あってよく実家に帰る。家に入ると、台所で朝ご飯の用意をしていた昔の母の姿を思い出す。薄暗い蛍光灯の明かりが白い皿の上の目玉焼きを照らす。いろんな料理の匂いがついたままの換気扇は、お味噌汁の匂いを外へと運んでいた。

 

 

 

外に出れば、玄関の前では草履を履いた父が植木に水をやっていた姿を思い出す。夏の夕暮れは、土に暑さを残したまま、草木は与えられた水を吸い上げていた。夕陽は少しづつ隣の家に隠れ、暮れていく。

 

 

 

 

そんな写真は残っていないから、今、そんなことを思い出しながら、その場所で写真を撮ってみた。当然、撮った写真は風景だけで、父母の姿はない。今はもう会えなくなってしまった父。年老いた母。でも、そこには当時の姿がある。

 

 

 

 

人生を切り取る時は、決して記録や思い出として残そうと必死にならないこと。人生を噛みしめて、アルバムを懐かしく見るように写真を撮るのだ。ファインダーを覗く行為自体が、あなたの心のアルバムだ。ファインダー越しに見えるのは、実際の風景だけではない。あの時の光と空気と想いなのだ。

あなただけに見える、その風景を切り取って欲しい。