リコーイメージングスクエア大阪勤務の従業員1名が、PCR検査の結果、新型コロナウィルス陽性であることが確認されました。お客様と従業員の健康と安全を最優先に考え、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、リコーイメージングスクエア大阪を臨時休館させていただきました。
リコーイメージングスクエア大阪で開催されていました「録々」ですが、非常に残念ながら会期途中で中止となってしまいました。
会期中に公開予定のインタビュー記事でしたが、一部内容を変更して公開させていただきます。
こんにちは
みなさんカメラは何台持っていますか?
私はたぶん30台くらいでレンズは20本くらいでしょうか。最近は数えていません(防湿庫からあふれ出しています)。
写真集は本棚2台分です。それでも欲しいカメラや写真集は次から次へと出てきます。
そんなカメラオタクで写真好きな商品企画の大久保です(以下O)。
今回インタビューさせていただいた、赤城耕一さん(以下A)ですが、カメラ雑誌やWeb記事などで、幅広くご活躍されているのはみなさんご存じのとおりです。
赤城耕一
東京生まれ。エディトリアルではドキュメンタリー、ルポルタージュ。
PR 誌、コマーシャルでは人物撮影。カメラ・写真雑誌、WEB マガジン、撮影の HOW TO からメカニズムの 論評、新製品カメラ、レンズのレビュー。
写真集評、写真展評も行う。ワークショップでは 撮影指導も行っている。使用カメラは 70 年前のライカから、最新のデジタルカメラまでと 幅広い。
「アサヒカメラ」(休刊・朝日新聞出版)で「銀塩カメラ放蕩記」を連載(休刊とともに終了)。
著書に「定番カメラの名品レンズ」(小学館)「銀塩カメラを使いなさい!」(平凡社)「ズームレンズは捨てなさい!」(玄光社)、最新刊は「フイルムカメラ放蕩記」(ホビージャパン)、ほか多数。
リコーフォトアカデミー講師。
カメラ毎日「アルバム」
赤城さんは作品作りはもとより、商業写真も撮られますし、カメラに関する本も多数出されていますし、ワークショップで写真のレクチャーもする非常に多彩な人です。
写真・カメラの総合デパート(表現古くてすみません)のような方ですが、まずはなぜこのように多彩な仕事に携わったか伺っていきたいと思います。
O:赤城さんが写真を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
A:中学生くらいのころ、僕の従弟が耳が不自由で写真を趣味にしていたのですよ。カメラもNikon Fだったかな。先鋭的なカメラで、なかなかかっこいい趣味だなと思ったわけですよ。
それで、すぐにカメラ雑誌を見るようになって、中でもカメラ毎日(休刊・毎日新聞社)という雑誌があって、そこの「ALBUM」という読者公募のページがあったんです。カメラ毎日では森山大道さんがそこでたくさんの作品を発表されてます。そのカメラ毎日の「ALBUM」に写真を載せるのが人生の目標だったんですよ。
1982年に「ALBUM」に掲載できたのですが、正直写真を職業にする事はあまり強く思ってなかったですね。自己表現という大げさなものじゃないけど、本当に写真生活みたいな感じを憧れていました。
[カメラ毎日に掲載された「眼ざし」]
O:「ALBUM」デビューされた後はどうされたのですか。
A:その後は雑誌の仕事を結構するようなりましたね。でも最初は大判カメラを担いで、インテリアとか、不動産の物件写真とを撮っていましたけどね。
あと、雑誌・広告のページを作る編集プロダクションにも8ヶ月(笑)ぐらいいました。出版社の専属カメラマンにもなりました。今の写真週刊誌の真似事みたいな事をしてる雑誌を発行してる所だったので、いろんな事をしましたよね。
その後、完全にフリーになって、グラフ誌もやりましたし、一般的な週刊誌もやりました。一応、それで糊口をしのいでいましたね。
O:いまでこそ赤城さんは機材から写真作品まで守備範囲が広いと思うのですが、最初はいわゆる写真作家系としてデビューざれたのですね。その後、機材についても書かれるわけですが…。
A:もともとカメラが好きだったから(笑)。従弟が持っていたNikon Fなんかも非常に美しいと思ったのですよ。
カメラ雑誌って何と言うか、最新型カメラの話から、グラビアから全部見られたじゃないですか。カメラと写真の両方に興味を持っていて、全ページ余すところなく見てたわけです。
例えば、森山大道さんがしばらく写真を撮っていないときに出会ったカメラがPENTAX SVだったという話があるじゃないですか。ああいうのって、やっぱりカメラと写真の関係は、切り離せないと思うのですね。
だからそういった意味で、カメラと写真のそれぞれに何らかの感想を持つのはおかしいことではないと思うのです。
好きなレンズとか、カメラ自体の佇まいがいいとか、手触り感がどうだとかフィジカルとメンタルは近しい感じがするんですよね。
写真やカメラにかかわることなら何でもしたい人なんだよね。
いま改めて、デビュー作「眼ざし」を見ると人をしっかり入れたスナップで、今回の「録々」に通じるものがあります。
赤城さんはツイッターで、ほかの写真家の方の写真展の感想をつぶやいてます(>>赤城さんのツイッターアカウント)。写真表現に対しては貪欲な印象があります。
ワークショップも何回か参加させていただきましたが、実に楽しく写真について話してくれます。
写真生活にあこがれたという赤城さんですが、仕事としてというより生活のすべてで写真にかかわりたいという思いがあったようです。
「録々」
「録々」は1:1のスクエアフォーマットの中判カメラとカラーネガフィルムを使って撮影された写真が中心です。まずは「録々」を取り始めたきっかけについて改めて伺ってみました。
A:中判カメラは長いことお仕事カメラだと思っていたんです。「録々」を取り始めたきっかけは、ほとんどカラーネガフイルムを使ったことがなかったんだけど、インテリア写真の仕事でカラーネガフィルムを使ったら圧倒的に階調が豊富で、明暗差の大きな条件ではポジフイルムで撮った写真よりうまくいった事があったのですよ。
それまでプロはポジフイルムを使うもんだと思ってたんです。カラーネガフイルムは緩いなと思っていた。でもその後はカラーネガフイルムで撮る作家さんも多くなって、普通になったわけですよ。
実はハイライトを焼きつぶすような写真の方が、好きなんだけど、ポジフイルムって、ハイライト部分に重点を置いて露出を決めるんですね。
カラーネガフイルムは逆に言うと、ちょっと露出をシャドー方向に振っといて焼き潰してくみたいな感じで、今回そのやり方をしたら階調の出方がいいんですよね。
ハイライトの調子が出て、シャドーがなんとなく残ってるような写真。これは、ポジフイルムとは違う再現できるなと思ったのです。
「録々」は昨年、新宿のオリンパスギャラリーで開催されました。その時は私も見に行きましたが、真四角の作品たちを2回、3回と繰り返しみているうちに写真の印象が変わってくる不思議な展示でした。大阪での写真展の様子をご紹介します。
ただ、オリンパスギャラリーで開催された時と少し様子が違うようです。当時拝見した時と違う写真が入っています。
A:オリンパスでやった時から1年経ったので内容を変えてます。もっと自由に考えてもいいのかなと思い始めたんです。大阪に合わせて写真を選んだのもありますが、ちょっとデジタルカメラの写真を増やしています。逆にスペースを考えて全体の枚数は絞っています。
前回、密かにデジタル一眼で撮影した画像を1枚忍ばせたのだけど、その作品が意外と好評というか、見栄えが良かったので、コンセプトの縛りを自分でつけるのも嫌になってきた(笑)。
ここは自由に行こうじゃないかと思う一方で、35mmフィルムカメラの横長の目の延長線で見ている世界を四角に当てはめる、または四角に切り取るというコンセプトは別にそんなに変わらない。
やはり、真四角というのは肉眼では不自然なところもあって、その中で絵を構築するという行為自体はやっぱりなんか面白いですよ。
O:渡部さとるさんのYouTubeで拝見しましたが、「録々」では写真と同じ数くらいのカメラを使っていますね(>>赤城耕一『録々』その1)。
1回の写真展でこれだけカメラを使っている人はいない気がします(笑)。
A:そうなんです。作品を掲載していただいた、2019年6月号の日本カメラ(休刊)の当時の佐々木編集長に大量に撮影カメラのデータが出てくるということで、レコード(記録)と言われましたね(笑)。
僕は飽きっぽい所があるから、今日は一眼レフの日とかローライの日とかあるんですよ。
ミラーレス一眼もデジタルカメラの日も、コンデジの日もある。様々なカメラを使いたくなっちゃうところがありますね(笑)。その持ち出す日の朝の気分みたいな。何かあるんですよね。こじつけですけどね(笑)。
そうすると、その日はそのカメラにつけたレンズの画角で歩くのです。今日は50mmと決めたら、その50mmの画角の目線で歩いてる。
O:わかります。望遠レンズをつけた日だと、ファインダー覗かなくても望遠の視界を意識した目線で歩いてますね。
A:そうなんです。中判カメラだと、レンズは80mmとか100mmぐらいの標準域で撮ること多いので、だいたい目線は標準域で固定化されて物を見てる感じはありますね。
O:赤城さんの写真は、下町の情緒感というか人の生活感をほのかに出してこられるなと感じますね。
A:なんでしょうね。やっぱり好みなんですよね。癖が出ちゃうというか。
例えば、あまり見ない珍しいモノや絶景を撮ってきて、はいどうぞというのは考えたことないですね。理解はするけど興味がないですね。
でも「撮ったことのないモノ」を撮りたいというのは、写真に限らず共通した夢だと思うのだけど、それは日常的に起きていることだと思うのですね。
「撮ったことのないモノ」とは、写っている被写体に意味があるかどうかがまず一番にあるから出てくる言葉ですよね。
今回の作品に写っているモノは意味があるから撮っているわけじゃなくて、そこに写ってるモノは見ていると何かの別のモノものに変わっていく。それは、化けるというか、写真にすることによってモノが化けることを期待して撮影しているのですね。その化けたモノを選択して提示しているのが「録々」です。
世界というものはこういうモノだという、一元的な見方ではなく、カメラとレンズという機械が見てるモノ(写真)と自分が見ているモノは違うという写真の特性を応用して、その世界を写真で作っていくという考え方で撮っているわけですよね。
O:ところで、日本カメラにも「録々」は掲載していましたが、写真展と雑誌とWebで写真の見方が変わってくると思いますがその点どのように考えてますか?
A:私は写真展と雑誌、Webは違うメディアだと考えていますから、異なるイメージでよいと考えています。必ずしも同じ写真が出てくる必要はないかな。普通はそう思わないか(笑)
写真展は残念なことになってしまいましたが、今回特別にPENTAX official用として「録々」シリーズ未公開写真を提供いただきました(ありがとうございます!)。1枚はこの記事のアイキャッチに使わせていただきました。
先ほども書きましたが、「録々」の作品は2回3回とみていると、被写体がだんだん化けてきて、最初に見えていた印象と変わります。
壺が窓の格子に引っかかっていますが、時間をおいて2回3回と全体を俯瞰して見ていると壺が壺であることをやめていくような気がするのです。
格子をはめた時から格子と一体化してしまったモノに化けてきます。よく見たら窓も空きっぱなしですね。窓もその役割を放棄しているように見えます。
では、それは窓と呼んでいいのでしょうか?壺をやめた壺、窓じゃなくなった窓はいったい何モノでしょうか?
この、見ると化けていく写真たちを見ると想像力を刺激してくれて楽しいと思います。
写真展は終わってしまいましたが、赤城さんの撮影は終わらないですし、「録々」は継続中だと思います。最後にもう少し写真をご紹介したいと思います。
O:今回はカラーネガでしたけど、白黒はやらないのですか?
A:実は今考えていて、またモノクロに戻そうかなって思ってます。「録々」の経験を踏まえて、デジタルと混ぜ合わせつつ…というか、どんな展開になるかわからないけど(笑)。
とりとめもなく、飽きもせず、中学校のころから約45年も良くやってるよね(笑)。