発売前に届いたのはクリスタルブルーのKF。コンデジならまだしも、こういう派手な色でボディを装っても何故かしっくり来るのはPENTAXの伝統芸能である。ブラックのFA 31mmF1.8 Limitedを付けてみると、ブルーとブラックのツートンカラーが美しい。街中で存在を主張するものの、気がつけば街に溶け込んでいるのは色選びの妙か。もっとも最近展開している九秋、夏天といったカスタムイメージSpecial Editionの洒落たネーミングに合わせて、クリスタルブルー/ホワイトを深海・雪原とかにしても良いのではと思ってしまった。もっと遊ぼうぜペンタックス。

「スポーティ一眼」を謳った2012年発売のK-30、そしてk-70の系譜をつぐKF。スペックだけを見ればK-3 Mark IIIを上位機種としたミドルクラスのラインナップになるのだろうが、街に持ち出しているとその軽快なフィーリングに驚く。普段645Zを振り回しているので、フルサイズ使いの人がGRを持ったような感覚なのだろう。

スペックだけで使い勝手を語れないのがカメラというもの。私は名機と呼ばれるものには二種類あると思っている。世間一般が認める客観的名機と、自分が認める主観的名機だ。エントリー機だろうが、どんなに評判の悪いカメラであろうがいい作品の撮れたものを自分的名機だと考えている。結果を残してなんぼなのである。プロとして写真集に入るカットを残した機種はどれも名機なのだ。

KFを使い出してまず感じたのは、名機たるポテンシャルを秘めているということだ。むむ、こやつ出来るな!と。本格的に写真活動を始めて20数年、銀塩含めかなりの機種を使ってきた。数枚撮ればなんとなくその辺が分かってきてしまう。

最近のカメラはどんどん便利になる一方で、誰もが失敗しないカメラへとシフトしている。それは同時に撮影体験が希薄になることをも意味する。絶対ミスの許されない現場でないのなら、ある程度できの悪い子の方が可愛く感じるものだ。なんでもかんでも満点を出してはくれないが、KFは自分が撮ったといえる体験を与えてくれる。そんなカメラだと思う。

最初は独特だと思ったグリップも、使っているうちに「よりアグレッシブに握れ」というメッセージに感じてくる。カメラ側に寄り添ってみるとKFの「アウドドアでアクティブに撮影する」というコンセプトが実感として腑に落ちる。カメラはプロダクトである以上、万人に合うようには出来ていない。それならこちらが工夫すればいいだけのことなのだ。

撮影結果に直接結びつく点でKFの良いところはやはりフラッシュとバリアングルの存在だろう。

選択肢が増えることは撮影スタイルが増えるということだ。K-3 Mark IIIには搭載されていないだけに、この2点を取っても全く違う撮影体験を提供してくれるのは間違いない。

このカットは狭い路地を撮ろうとローアングルで狙おうとしたところに着物を召した御婦人が通りかかってとっさに撮ったもの。これはさすがにバリアングルでなければ撮れなかっただろう。また潔くバリアングルで背面モニタが見えないように撮影するのもフィルムカメラのようでこれまた一興である。

今目の前にKFとK-70があるのだが、どう見比べてもグリップの形状は同じなのに持ちやすさはKFの方が格段に良くなっている。誠不思議なほどの差。人間の感知能力がとてつもないのか、そんな些細な違いでこうもグリップ感がアップするのだ。
それとやっぱりファインダー、この価格帯のカメラと思えないほど良い。一眼レフの生命線ともいえる部分だけに開発者のこだわりを感じる。ピントの山がはっきり分かるのでマニュアルでもジャスピンだ。せっかくなのでSMC PENTAX-A 28/2と24/2.8を持ち出して撮影してみた。晴れのスナップなどは絞ってしまえばパンフォーカスで撮影できるが、作例のように接写気味でもピントがわかりやすくて助かる。デジタル対応で設計されたレンズと違い収差が出るので、やや甘い写りが好きな方には良いかもしれない。

このKF君、ちょっとだけ困ったことがある。いや、唯一ダメだしするとしたらこの一点だ。それは「スリープからの復帰が遅い」ことである。瞬時に撮ろうとしてもスリープからの復帰が間に合わず撮れないということが何度かあった。幸いバッテリーの持ちが良いので撮影中はスリープ機能をオフにすることにした。ファームアップで今後改善されることを望みたい。

この時代に一眼レフの新機種を出すことは誠に素晴らしい。「find」と「field」の頭文字からKFとなったようだが、私としては一眼レフ文化を未来に紡ぐ「future」のFのようにも感じる。

是非KFを手に取って、みなさんのFを探して欲しい。