モノクローム専用機を開発していると聞いた時は、さすがにエイプリルフールじゃあるまいし・・・と思ったものだが、まさか本当に商品化してしまうとは。そういうことをやってのけてしまうのがさすがPENTAXだと感心する。
モノクロ専用センサーの何が凄いのかは既に色々な記事等で触れられているので、もう少しそのポイントである「デモザイク」処理について細かく述べてみたいと思ったが、冒頭から堅苦しい話をするとここで読者が飽き飽きしてしまわれても困るので末尾に書くとする。
デジタル画像処理について興味ある方は読んでいただくとして、このK-3 Mark III Monochromeを使うと一体どのような作品が撮れるのか実践的なところを筆者の感想と共に述べていこう。
モノクロ専用機が生み出す極上の素材
単色センサーを積んだK-3 Mark III Monochromeが生み出すデータは筆者の常識を遥かに凌駕していた。高感度におけるデティール、ハイライトの粘り、APS-Cとは思えない解像感、すべてが異次元のレベル。
普段Photoshopを用いて色調を追い込んでいるので、今回もカメラ内のパラメータはノーマルに設定し、RAWデータから追い込んでいる。と言ってもあれこれやってしまうとレビューにならないので、今回掲載しているものはコントラスト調整とノイズの追加程度しかしていない。
逆にいえば、それしかしていないのにここまでの絵が出るのには本当に驚愕だ。良い食材をどれだけ素晴らしい料理に仕上げるか、そんな楽しみを感じさせてくれるデータである。
写真を始めた2000年頃は、多くのユーザーにとってデジタルカメラは特殊な機材という感じだった。まだ大学の写真部員だった筆者にとってモノクロフィルムを使うのが当たり前で、しばらくしてNikonD70などが出てきたのを記憶している。
家に暗室を作り、ダーストM805でモノクロもカラーも焼ける環境を作って自家現像をしていたが、せっかちな性格ゆえ、繊細さが要求される暗室作業には性が合っていなかったようだ。ホコリが写ったプリントを見て先輩には「新納の暗室は砂場にあるのか?」と言われる始末であった。
K-3 Mark III Monochromeを持って街を歩いても、モノクロしか撮れないからといって特に意識は変わらない。ただ、普段は645Zに105ミリと中望遠を常用しているくせに広角レンズを付けたくなる。昔フィルムで撮っていた時の記憶が深層心理に働きかけているのかもしれない。
今回はHD PENTAX-DA 15mmF4ED AL Limited 、HD PENTAX-DA 20-40mmF2.8-4ED Limited DC WR、HD PENTAX-FA 31mmF1.8 Limitedで撮影したものだ。ずっとカラーで作品を発表していたので、モノクロ写真をこうして世に出すのは実に12年ぶりである。
撮影中にみかけたとあるマンションの一角。ステンレスのドアに磨き跡が残っていた。なかなかウェブ上で細かな違いを伝えきれないところがもどかしいが、細かい部分の階調が美しく、景色をそのまま持ち帰ってきたかのような質感を再現している。
晴れの日のあじさいだが、ローキーで撮るとまた違った世界観を演出できる。データの質が良いのでレタッチの幅、つまりは作品制作の幅が広がる。モノクロ専用機はカラーも撮れるデジカメにモノクロモードで撮影するのとは全く異なるものだ。
何か意を決して撮影に臨む緊張感が潜んでいる。
銀塩とは違うデジタルモノクローム独特の世界
ちょうどK-3 Mark III Monochromeの話を聞いた時、昔撮った10数年分のフィルムを毎日デジタル化していた。モノクロ専用機といえども、銀塩フィルムで撮影したものとは別物というのが私の思うところだ。そもそもの画像生成プロセスが違うので似て非なるものである。
ゆえに当機はデジタル時代ならではの今までにないモノクロ表現を可能にしてくれるカメラだと思う。
もし銀塩テイストにしたい場合はデジタル特有のシャープさを殺す必要がある。全体の輪郭を甘くし、シャドー・ハイライト部の特徴をフィルムに寄せ、ノイズを足していけばかなりそれらしくはなる。
曇天の日はカラーだと色がくすむのでモノクロの日としてしまっても良いかもしれないと思った。
ベースがK-3 Mark IIIなので操作感は同じだが、広角を付けているせいもあってか久しぶりにストリートスナップを撮りたくなる。普段は一眼レフ・ミラーレスなどもISO800を上限にしているが、3200あたりでもデティールがしっかりと残っているので作品として全然使える。そのせいか薄暗くなっても全然手持ちで撮影できてしまうので、カラスが鳴いたからといって家に帰れないのは少々つらいところかもしれない・・・。
日常を見つめ直す
モノクロ写真は光の濃淡が描き出す世界。つまり日常世界の光を読むことができていないとなかなか作品といえるカットを生み出すのは難しい。しごく当たり前のことなのだが、やはりモノクロを撮ることを意識すると自然と思考回路がそうスイッチする。
どのような作品に仕上げるかを考えながら撮ることがカラー以上に重要になってくる。
モノクロと日中シンクロは相性が良い。少し当てるだけで立体感が違ってくる。これはPanasonicのPE-28sを使用。
K-3 Mark III Monochromeの持つポテンシャルに一番驚いたのが人物撮影をした時だ。細部まで緻密に書き出される上質なデータ。正直645Z泣かせである。これはほぼ撮って出しであるが肌の質感がもう異常である。
暗室に入っていた人はPhotoshopの上達が早いという話もある。それは光を読む力もそうだが、アウトプットの際の適切なコントラスト・粒状感、白の出し方を心得ているのが理由だろう。
モノクロしか撮れないというとレトロな印象を受けるかもしれないが、実はその真逆でこれからのデジタル画像の行く末を提示しているようでとても未来感のあるカメラなのだ。
K-3 Mark III Monochromeを手に入れるかどうかはさておき、なぜ自分がカラーもしくはモノクロで写真を撮っているのか見つめ直してみるとさらなる飛躍につながるはずだ。
デモザイク処理について
現在主流のデジタルカメラは一枚のセンサー上にRGBセンサーが並んだマトリックスタイプが主流だが、1990年代前半あたりのデジタル黎明期にはいかに高画素・高階調で画像を取り込むか色々と試行錯誤されていた。センサーに並ぶ撮影素子は輝度情報しか記録できないためどのようにフルカラー画像を得るか、いくつかのタイプが存在した。
1996年Phase Oneから発売された「Photo Phase Plus」のような走査線がジィーーーと動いて記録していくスキャナタイプや、カメラの前にRGBのフィルターを付け替え3回撮影し画像処理を施すことででカラー画像を得る3ショットタイプなど今では見ることのできない方式のカメラがあったのだ。
ちなみにそれより約100年前20世紀初頭において、モノクロ乾板とRGB3枚のフィルターを使ってカラー写真を作る技術がロシアで発明されているが、実物を見た際これが100年以上前のものとは思えないほどの美しさであった。
スキャナタイプや3ショットタイプは撮影に時間がかかるため(長いと数分)、静物しか取れないなどの制限がありやがて歴史から消えていくことになる。
現在のRGBマトリックスタイプも、それぞれの素子は基本的に輝度情報しか記録できない。それゆえそれぞれの素子にカラーフィルターを付けることで、あるR素子はどの程度の輝度なのかを記録するのである。百聞は一見にしかず、645Zで撮影した写真で実際の様子を見ていこう。
スカイツリーの部分を拡大し、撮影素子が受け取ったままの状態を専用のソフトを介して見てみる。
さらに拡大するとそれぞれの撮影素子がRGBの輝度情報しか得ていないことがわかる。
左がカラー画像に変換された状態、右がオリジナルである。このカラー画像にする処理を「デモザイク」という。
デモザイクは隣り合うピクセルの色情報から一定のアルゴリズムにのっとって計算し、それぞれにRGBを組み合わせた色を算出することをいう。簡単に言えば隣接する色からこんな色だろうと、一つのピクセルに色を付けていく感じだ。
デモザイクのアルゴリズムはいくつかあるが、今回使用したのは一般的な「AMaZE」方式。デモザイクによって初めて我々が普段目にする写真画像になるわけだが、このように隣り合うピクセルから色を計算するために「擬色」や「モアレ」が生じたり、演算する熱によってノイズといった弊害が発生する。K-3 Mark III Monochromeの高感度域におけるデティール保持能力を見ればわかるように、デティールの崩れにも影響してくる。
モノクロセンサーはデモザイク処理がないため、上記の弊害が極限まで抑えられるということなのだ。
さらに右側の四角で囲んだところを見ていただければ分かるようにベイヤー配列では「RGBG」が1セットとなる。つまりGがだぶっているのでRGB実際の画素数は3/4ということになる。話はそこまで単純ではないが、実際の有効画素数とはずれがある。しかしモノクロ専用機ではそのようなズレはない。
これ以上詳細な解説になると数式のオンパレードになるのでやめておくが、デモザイク処理が不要なK-3 Mark III Monochromeがどれだけ恩恵を受けているかは理解できたかと思う。