夏とはこれほど暑いものであっただろうか。今年は群を抜いて暑い。なんなら梅雨明けを待たないうちから暑かった。梅雨明け後の暑さときたら、もう閉口するしかない。
我が家は海に近い場所にあるので、例年であれば午後から吹き始める南風が太陽で熱された空気と重い湿気を取り除いてくれるから、夕方には窓を開け放して夜風を楽しんでいたというのに。

ではいつ写真を撮るのかといえば、朝しかない。それも日が昇る前までが勝負だろう。ということで日も明けぬ朝の4時、夫を道連れに自転車に乗って江ノ島方面へ向かって漕ぎ出した。幸い昨晩の酒は残っていない。

 

ふと空を見上げるとまだ月が明るい。心なしか、夏の月は大きく感じるものだ。湿気を帯びてぼんやり輝くさまを確認したくて、つい何度も見上げてしまう。
実は>>前回のコラムのあと、愛用のFA 43mmF1.9 Limitedをメンテナンスに出した。格段にフィーリングが良くなったことをみると、やはり相当お疲れだったとみえる。そりゃ20年もこき使っていれば、フォーカス機構も機嫌を損ねたくもなるだろう。

 

FA 43mmF1.9 Limitedはソフトで立体感のある写りが好みだが、絞ればそこそこシャープ、しかしそのなかにも包み込むような温かみのある描写がやはり好きだ。太陽の昂る方向へ自転車を走らせ、鵠沼海岸に到着するとまだ5時前にもかかわらず既に100人以上のサーファーが海に集結しているではないか。今朝は雲が多めながら富士山も顔を出している。夏の朝、富士山の姿が海越しに浮かぶのは珍しいことである。

 

 

営業前の海の家の前には飲み残しの酒を求めてかカラスが多くたむろしていた。他人に思えないが、わたしは人の飲み残しの酒は飲まないわよ、と小声でつぶやいてシャッターを切る。「知ったことか」という顔をしたかしないか、いずれにしてもカラスは美しいプロポーションをしているので、わたしとってはよい被写体である。

 

 

そろそろ江ノ島へ渡ろうか、と思った頃、いよいよ太陽が雲間から強い光を放ちながら昇ってきた。東浜一面をオレンジ色に染めるにつれて、気温もぐんぐん上がってゆく。これはのんびりしていられない。橋を渡ったら久しぶりの江ノ島である。江ノ島へは自宅から5〜6km程度だから、もっと頻繁に来てもいいのだけれど、観光客のあまりの多さに辟易してここ数年は足が遠のいてしまっていた。

 

しかし朝一番というのは格別である。もちろん参道の両側にひしめく店はどこもシャッターを下ろしているが、道をゆくのは眠そうな顔をした猫と餌やりの人間と我々のみ。再び月を見ようと空を仰ぐと大きなアオサギが一羽、シュロの木から飛び立った。月は湧き出てきた雲に隠れてしまったのか、見当たらない。>>第一回目のコラムのときと同じく、山を越えて島の反対側へも足を延ばすつもりだったが、寝起きから2時間近く移動と撮影を続けたためか、もう空腹も限界である。「お腹が空いたね」と夫に同意を求め、鵠沼のファストフード店へ。

 

この夏、またK-3 Mark IIIを首からぶら下げて早朝の海辺を撮影しに来るのもいいだろう。夏はまだ始まったばかりである。急ぐことはない。