前回、写真は記憶の“しおり”なんですとお話ししました。

>>写真は忘れゆく記憶を思い出させてくれる“しおり” 第0回(塙 真一)

どんな写真だって、それは記憶としてとどめておきたいからこそシャッターを押したのだと思います。

記憶というのはすべてが楽しいことばかりではありません。中には、忘れてしまいたくなる記憶もあるでしょう。ですが、少なくとも写真を撮ったそのときは、記憶としてとどめておきたくてシャッターを押したに違いないのです。

自分の写真を見返すことで記憶をたどる行為。
それはタイムマシーンに乗って、自分の過去を探求しにいくことなのかもしれません。

 

では、写真をご覧いただきながら、私のタイムマシーンの旅にお付き合いください。

 

魚釣り禁止って書かれてはいるけれど…

この写真を撮った日の木更津は暴風と言っても良いほどの強い風だった。それでもこの橋に行ってみたのはなぜなんだろう?この橋を訪れるのは今回が2度目。

初めてこの橋を訪れたのはまったくの偶然。海沿いにクルマを駐めて、カメラを持って歩いていると、遠くにこの橋が見えて、「あそこまで行ってみよう」と思ったのがきっかけ。そのときに、この場所が映画「木更津キャッツアイ」のロケ地として有名であることを知り、今回もまた「せっかく木更津に来たのだから、あの橋に行こう」と思ってしまったのだ。

橋の入り口についたらそこは海辺ということもあり、とてつもない強風。橋のたもとでさえこんなに風が強いのだから、高さ27mもある橋の真ん中は考えるまでもなくもっと強風に違いない。それでも、「せっかくだから」という理由だけで橋の最高地点まで歩いてみることにした。幸い天気は良く、海に浮かぶ船もよく見えて、景色はとてもいい。風さえなければだ。あまりの強風にカメラを構えるのも辛いほど。

結局、橋の中央部までは行ったもののあまりの強風と寒さですぐにUターンしてしまった。そしてだいぶ戻ってきたときにふと見つけたのがこの破れた金網。その金網のそばには「魚釣り禁止」の看板が。おそらくこの金網は釣り人が竿を出すために切ってしまったのだと想像した。「悪いことをするなあ」という思いよりも、「こんな風の強い場所で釣りなんてできるのかなあ」という不思議さの方が先に立った。でもまあ、「こんな風の強い場所で一生懸命に写真を撮ろうとしている私も同じようなものか」と思い、なんだか笑ってしまった。楽しく笑うというよりは、風と寒さの辛さで笑ってしまうという感じ。

 

たった1枚の写真ですが、この写真をじっと見ているとあの時の状況がこんなにも鮮明に思いだされます。
写真を見る人には分からないでしょう。なぜなら、これは私の記憶のしおりだからなのです。それでいいのです。

思い立ったが吉日と言って出かけたらもう夕暮れ

ある日の午後、ちょっと海でも見に行こうかと思い立ち、クルマを走らせた。海に行こうと思った理由は至ってシンプル。その前の旅が2度続けて山だったからだ。だから今回は海。東京から近い海といえば湘南か千葉。直近で行った海は江ノ島。その前は千葉。すでに出発時点でお昼は過ぎていたのであまり遠出をするのは賢明とはいえない。なのに、江ノ島と千葉は避けようと思い、とりあえず伊豆半島方面を目指すことにした。今にして思えば無計画。いや、私の旅はいつでも無計画だ。

東名高速を走り、小田原厚木道路に入るころにはちょうど富士山のあたりに日が沈むのが見えた。「夕陽が綺麗だなあ」と思うと同時に、「これは伊豆に着く頃には夜になるじゃないか」とふと我に返る。一応、目的は旅写真を撮ること。仕事ではないが、時間とお金が許す限り、旅に出て写真を撮るようにしているからだ(まだコロナによる自粛ムードすらなかった頃の話し)。

夜の海を撮るのも悪くはないが、それだけではもったいない。明日もこれといって予定はないから、どうせなら一泊して行くかと思い始めた。そうと決めたら、「まず宿を取らなくちゃ」。沈みゆく夕陽を見ながら、トイレ休憩を兼ねてパーキングエリアにクルマを駐める。そして、スマホで宿探し。無事に宿が決まりホッと一息。「これで今日は慌てて写真を撮らなくてもいいや」と思い、クルマを降りた瞬間、目の前に見えた景色がこの写真。すでに日は沈んでしまったけどまだ空は青さと赤さが残った絶妙な時間帯。宿探しのために駐まったパーキングでこの光景を見られるとは幸運な一日。無計画も悪くない、と思った瞬間だった。

 

写真って、良いものを撮ろうとすればするほど、いろんな不運が重なったりするものです。でも、何も気負いがないときには突如美しい光景に出会えたりします。無欲の勝利というものはやっぱりあるのでしょうか。一生懸命に写真に向き合うことも大切ですが、それよりも大切なことはいつでもシャッターを押せる状態でいることなのかもしれません。