6月のお題は…『電線のある風景』

新納翔 師範

電線がどんどん地中化されていく中、このお題は50年後だったら出せないかもしれません。何気ないものでも今しか撮れない景色ということで今回はこのお題を選びました。そう思うと特別なものに見えてきませんでしょうか?それを自分なりに写し撮ってください。後世に残る電線写真、お待ちしております。

 

新納翔 師範からの6月のお題は『電線のある風景』でした。
このお題に投稿いただいた中から師範が選んだ作品を、添削コメントを添えてご紹介します。

6月の挑戦者その1:ラタ: reautntさん

先月(5月)から毎日上を気にして歩いていました。師範がおっしゃっていましたこの先いつかというより
もしかしたら来年、再来年には無くなってしまうかもしれない電線を見つけてシャッターを切りました。
仕事帰りの夕方の電線のある風景です。
新緑と電線の攻防がとってもスリリングでコレは危ないぞという緊張感でした。
気になる場所なので出来るだけ今後を見守って行こうと思います。

ラタ: reautnt
福岡県在住、男性。KPを愛用しています。スナップ(記録)ばっかりでなかなか作品の領域へ進めていません。毎日カメラを持ち出して記録メモしています。PENTAX KPとsmc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6ED AL[IF] DC WRで撮影。

 

師範の判定結果は・・・

残念ながら・・・

新納翔 師範からの添削コメント

 

電線と木の枝が交差しているのでしょうか、とても面白いシーンですね。電線を通すにあたり木を迂回できずこうなったのか、数十年前は家もないような場所に立っていた木の周辺が住宅地として開発された結果なのかと、この一枚から色々なことを想像させてくれますね。写真はどう撮るかも重要ですが、それ以上に良い被写体を見つけるアンテナの鋭さが重要なのです。この木の発見も日々カメラを持ちながらアンテナを張っていたおかげなのでしょう。

写真はその性質上どのようなアート作品であっても、記録するという側面を捨て去ることはできません。それが写真の面白いところであり、撮影時には何も考えずに撮ったものが数年・数十年と経った時に予期せぬ価値が生まれたりするものです。

作者のラタさんのコメント「この先いつかというよりもしかしたら来年、再来年には無くなってしまうかもしれない電線を見つけてシャッターを切りました」とあるように、記録性を意識しながら撮ったのであれば、もう少しどんな街なのかという情報量を増やすべきでしょう。その為にもう少し引いて撮る。それによって画面構成上邪魔になっていた左上の電柱も気にならなくなると思います。これはテクニックですが、メインの存在になっているから邪魔に感じるわけで、そういうものは逆に引くことによって背景にしてしまえばいいのです。絞りをあけてぼかしてしまうのも同じ話ですね。この場合、引いて撮ることよって街の景色も写ってくるので一石二鳥だと思います。

それと右のマンションを見て分かる通り夕方の斜光。木がメインであれば順光になる別の時間帯に狙ってもよかったかもしれません。もしくはこの写真の面白みは電線と木の交差する様子なので、長時間露光の夜景で余計な情報を破棄してしまうのも面白い気がします。とても可能性のある作品だと思います。

 

6月の挑戦者その2:マシコさん

電線は電柱というものを介して街中に張り巡らされている訳ですが、
その電柱は大抵は路上に沿って生え揃っているものになります。
となれば必然、電線の真下には電線と同じように、
歩道だったり車道だったり畦道であったりが、縦横無尽に走っていることになります。
そんな路上を行き交う人達と、その頭上に伸びる電線とをタイミングを狙って撮ったものです。

マシコ
東京都在住、男性。PENTAX K-7とsmc PENTAX F50mmF1.4で撮影。

 

師範の判定結果は・・・

残念ながら・・・

新納翔 師範からの添削コメント

 

都市写真は3種類に分類されると思っています。そこに暮らしている市井の人々が主役で街風景はあくまで背景というもの、それとは逆にあくまで街の景色が主体だというもの。そして、人々も街の景色を構成する様々な要素を等価に扱うもの。

マシコさんの作品はまさにラストに区分される写真でしょう、きっとご自身の被写体との距離感がそうなのだと思います。被写体との物理的な距離感、そして心の距離感、それらがちぐはぐになるとどこか違和感のある写真になりがちなのです。目の前のものを等価に扱おうとする時、やや中望遠のレンズを使うと伝わりやすくなります。私が645Zに105ミリを付けているのもそういう理由です。広角で寄って撮るのと、同じ範囲を中望遠で引いて撮るのとでは圧縮効果や被写界深度以上に、被写体とどういう距離感で接しているのかということが無意識に写り込んでしまうのです。

この写真は色がいいです。これから夏になろうという緑、幼稚園児のピンクの帽子、抜けるような青空の配置がとても良くこの地域の特徴をとてもよく表していると言えるでしょう。

それとやはり決め手となったのがコメントですね。応募作品を一定数まで絞った先に一番見るのがその人のコメントです。どういう想いで撮ったのか、何を考えたのか。そういうステートメントが写真をさらに奥深いものにします。

“電線は電柱というものを介して街中に張り巡らされている訳ですが、その電柱は大抵は路上に沿って生え揃っているものになります。となれば必然、電線の真下には電線と同じように、歩道だったり車道だったり畦道であったりが、縦横無尽に走っていることになります。そんな路上を行き交う人達と、その頭上に伸びる電線とをタイミングを狙って撮ったものです。”

街中に張り巡らされている電線ですが、それに慣れてしまっているせいで普段は気にも留めない存在。ただ確実にその下には人々の生活があるわけです。

しかーし、とても惜しい!惜しいですよ。

おそらく電線写真を意識したせいで電線を多くいれたために路上の風景が見えにくくなっています。上部の電線はやや説明的になっていますね。少しでも電線が写っていれば、画面外であっても電線が延びている様子は想像に難くないはず。そういう意味で上部は入れすぎないでもっと寄るかトリミングした方がいいですね。あえて切ることで表現できることもあります。私の参考例ではトリミングした後、Photoshopの自由変形にて建物や電柱のパースを直しています。そうするだけで安定感が増し重厚感が出ます。

〔新納翔師範によるレタッチ見本〕

6月の挑戦者その3:パパさん

もっと複雑に絡んだ電線は多々あるが、その中でもこれはアートに近い機能美

パパ
奈良県在住、男性。一眼レフ(KP)愛用中ですが、最近はGR IIIの街角スナップ多し。PENTAX KPとsmc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED WRで撮影。

 

師範の判定結果は・・・

もう一歩!

新納翔 師範からの添削コメント

 

どストレートな電柱写真、グラフィカルに切り取られた一枚。近頃どんどん地中化されていく電柱ですが、送電するという機能とは別に電柱・電線が持つ美というのを実感します。街中を撮っていて、電線が走ってなかったらと思うことも多いですがそれもいずれ贅沢な悩みだったと振り返る時代が来るのでしょう。

この作品の面白い所は余計なものを極力省き、即物的に電柱を捉えているところです。絡み合う電線、赤いラインが特徴的なコマのような形の碍子(がいし)が絶妙に配置されていて作者のパパさんがおっしゃる通り、これはもうアートという他ありませんね。この写真が作品として成立している要因のひとつは、曇天に近い空模様で撮影されているということです。これがコントラストの強い晴天や、夏らしい入道雲がないからこそ、この一本の電柱の細部にまで目が行くのです。曇天は雲が太陽という巨大な光源のディフューザーになるので均一な光を得られ、被写体のディテールを見せるのには一番向いているのです。

この写真を見てまずベッヒャー夫妻のタイポロジー写真を思い出しました。ベッヒャー夫妻は1960年代から大型カメラを用いてヨーロッパ、アメリカ各地の給水塔、採掘塔、サイロなどを超即物的に撮影した写真群によって知られており、後のトーマス・ルフ、アンドレアス・グルスキーなどに多大な影響を与えた写真家です。素人が言及するとボロがでるので興味の有る方はネットで調べてみて下さい。

パパさんの写真に戻りますと、グラフィカルな写真だからこそ細部まで入念に構図が作られているかが問われます。上部に大きくとった余白は、何もない余白でありながらメインの被写体である電柱を引き立てる「有意義な余白」になっています。ただ心持ち広すぎる気がするので多少はトリミングしても良いでしょう。それとこの写真は2:3のアスペクト比がベストなのか再考してみてください。画面右下もスッキリしない要因になっています(手書きコメント参照)。こういう写真はデジタルの良さをうまく使って、フィルムでは再現できないシャープでパキッとした表現にしても良かったかと思いました。いっそのこと白飛びしていても良いくらいの思い切りのよさも写真表現という観点からすればアリだと思います。

問題は、一枚の単写真としてはいいのですが、課題の「電線のある風景」として見ると「風景」の要素が足りないことです。課題をどう解釈するか思考することから撮影は始まっているのです。そこが減点要素となりました。

〔新納翔師範によるレタッチ見本〕

師範より6月前半の総評

今回応募された電線写真を見て、どこか既存のイメージに縛られているように感じました。もっと自由に自分にしか理解できないだろうなという不安は捨てて、これが自分の電線写真だというものを期待しております。例えば電線が写っていない青空の写真だって、写っていないからこそ電線の存在が気になるという点では電線写真と言ってもいいわけなのです。
撮影する前に考えること。思考することが撮影の9割。そういうことが応募する際に書くコメントから読み取れるのです。応募作品から3点を選ぶ際、たいてい絞って5点くらいになります。そこからは作者のコメントがとても選考に大きな影響を与えるのです。前回も書きましたが、コメントをおろそかにしないで下さい。Exif同様穴があくほど見ています。なぜなら私は科捜研の男ですから。
撮影者の陥りやすいミスとして、見る側が画面外の情報を知っているものとして写真を提示してしまうことがあります。または撮るのに苦労したカットというものは思い入れが強くなり選びたくなりがちですが、そういったプロセスは見る側にとってはどうでもいいことなのです。自分の写真を一度客観視する、見ず知らずの人が撮った一枚のように見ることによって写真の完成度はあがります。私はそのために個展などで写真のセレクトに迷った時は、プリントしてトイレに貼っておきます。そうすることで、忘れたころにトイレに入るとリセットされた目で写真を客観的に見ることができるのです。

記念品のお届けについて

パパさんには「免許中伝ミニ木札」、ラタ: reautntさん、マシコさんには「門前払いミニ木札」をお贈りします!

記念品は7月中旬にお届け予定ですので、しばしお待ちくださいませ。

リコーフォトアカデミーについて
そんな新納翔師範が講師を務める、リコーフォトアカデミー2021年度ゼミナール(東京校)も現在募集中です。
9か月間、一緒に学びませんか? 初回講座は7/17(土)となります。

その他の投稿作品をご紹介

最後に、6月前半のお題の投稿作品の一部をご紹介させていただきます。
こちらは師範の評価とは関係なく、今後挑戦される方に参考にしていただけるよう編集部にて選んで掲載しております。

〔クリックで写真が大きくなります〕

以降のお題へのご投稿もお待ちしています!

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