こんにちは

大晦日にコミックマーケット99(コミケ)に行ってきたカメラオタクで写真好きな大久保(以下)です。

 

 

コミケは同人誌の即売会です。
コミケというと、ややもするとアニメーションや漫画が注目されますが、ジャンルは多種多様で「写真」・「カメラ」の同人誌もあるわけです。
また、趣味の対象を写真に撮って同人誌にする人は多く、それらを「写真」作品としてみれば、じつに様々な写真表現がそこにはあります。
例えばミニカーを趣味としている人が、実際の街を背景にミニカーを撮影して、あたかも実車のような「写真」を本にまとめていたりします。
この場合、作者の撮りたいイメージは決まっていて、イメージ通りに撮れるようにミニカーを置く位置や照明などに気を使うわけです。
写真の世界ではそのように作りこんだ作品をステージド・フォトグラフィ(演出された写真)といいます。ステージド・フォトグラフィについては伊丹豪さんに記事を書いていただいたことがあります(>>写真を読み解く-2)。

ではここで、リコーイメージングスクエア東京で2/7まで開催されている「セカイヲミツメル」(>>写真展概要)展での、原久路さん・林ナツミさん(以下原さん:HR、林さん:HY)の1枚の作品を見てみたいと思います。

 

[Untitled(苺)2016]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi

 

黄色いレインコートを着た少女が雨模様の夜に、懐中電灯を手に何かを探しています。
空は微妙に明るいらしく、背景にはスポットライトがあります。少女には照明があたっているように見えます。まるでSF映画のワンシーンのようです。黄色いレインコートはアメリカ映画などにもちょいちょい出てくるアイテムなので、どこかで見たようなイメージの既視感を感じさせます。

2020年に東京都写真美術館で開催された「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」展に出品された「世界を見つめる」シリーズからの1枚です。原さん、林さんは少女をモチーフにどこか物語を想像させるような写真作品を制作しています。
なぜ少女をモチーフにするのか? 思春期の少女を主題にしながら、事実に基づいたドキュメンタリーなどではなく、なぜステージド・フォトグラフィの手法を取るのか? など気になるところです。

 

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi

 

原久路 & 林ナツミ (Hisaji Hara & Natsumi Hayashi)

 

原久路(1964年 東京都生まれ)と林ナツミ(1982年 埼玉県生まれ)による写真家ユニット。
2013年結成。ユニットとして共同制作を開始する以前は個々に写真シリーズを制作。
原久路「バルテュス絵画の考察」(2009) https://hisajihara.com 、林ナツミ『本日の浮遊』(2011~継続中) https://yowayowacamera.comなどがある。
2011年の福島第一原発事故を経て、2014年に東京から大分県別府市に活動の拠点を移す。2015年に「世界を見つめる」シリーズの制作を開始。

 

原久路 (Hisaji Hara)

 

1964年 東京都生まれ
1986年 武蔵野美術大学 造形学部卒業
1993年 渡米。ニューヨークの映像制作プロダクションにて撮影監督・アートディレクション、NHKニューヨーク総局にてヒラリー・クリントン専属カメラマン、ダライ・ラマ14世ドキュメンタリーなど撮影
2001年 帰国後、独立
2009年 バルテュスの絵画作品を写真で再現した作品シリーズ「バルテュス絵画の考察」を発表
2013年 林ナツミと写真家ユニットを結成
2014年 東京から大分県別府市へ移住

 

林ナツミ (Natsumi Hayashi)

 

1982年 埼玉県生まれ
2005年 立教大学 文学部卒業
2007年 立教大学大学院 コミュニティ福祉学研究科博士課程前期課程修了
2011年 ウェブサイト「よわよわカメラウーマン日記」にてセルフポートレート日記プロジェクト『本日の浮遊』をスタート、現在も更新を続ける
2013年 原久路と写真家ユニットを結成
2014年 東京から大分県別府市へ移住
     
       
写真展

[個展]

2016年 〈世界を見つめる〉 ニコン フォト・プロムナード(東京)
2017年 〈世界を見つめる〉 ニコン フォト・プロムナード(名古屋)
          〈世界を見つめる〉 ニコン フォト・プロムナード(大阪)
2018年  「平井家の入れ子の記憶」(写真インスタレーション) 平井家(大分県別府市)
2022年  「セカイヲミツメル」 リコーイメージングスクエア東京(東京)


[グループ展]

2015年  「Scripts of The Bodies: From the Collection of Three Shadows Photography Art Centre」
           三影堂厦門撮影芸術中心 (中国・厦門)
2019年  「美少女の美術史」展 北師美術館(台湾・台北)
           「Michael Kenna + Hisaji Hara + Natsumi Hayashi」 ギャラリー・アルブレヒト(ドイツ・ベルリン)
2020年 「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」 東京都写真美術館(東京)

 

<バルテュス>

原さんは「世界を見つめる」の前に「バルテュス絵画の考察」を発表されています。
バルテュスはフランスの画家で、ピカソに「二十世紀最後の巨匠」とも称えられた人物。少女をモチーフにした絵画で有名です。
例えば「The Golden Years (The Happy Days)」という作品があります(>>wikiart)。
暖炉の前で少女が椅子に座り手鏡を見ている絵画です。原さんはこれを写真で表現しています(PENTAX 67で撮影されています)。

 

[A Study of “The Happy Days”]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi

 

二つの作品を見比べるとわかるのですが、大人のモデルさんがセーラー服を着ているなど、原さんの写真は原作の忠実なコピーではなく、バルテュスの絵画に対する独自の解釈を含んでいると思います。
脚を大胆に露出しているのでエロティシズムと解釈されてしまいがちですが、バルテュスは「私が理想とするのは、宗教的なモチーフを使わずに宗教画を描くことだ」とそれを否定したそうです。
一方、原さんは過去のインタビューで「イノセンス」と「エロティシズム」を同時共存させることは、20世紀的な価値観を客体化する上でたいへん重要な事だと指摘しています。
バルテュスの絵画と原さんの写真、この二つの作品をどうとらえるかは、見る人にゆだねられているのではないかと思います。

…という感じで、原さんの作品には1枚のなかに海溝並みの解釈の深さがあって、見ているといくらでも思考を巡らせることができます。考えたことをすべて書くと、電子媒体ではありますが紙面(時間)が足りなくなってしまいます(笑)。
今回の「セカイヲミツメル」も、一見ポップな写真でありながら、「バルテュス絵画の考察」と同じように、ポップなだけでは済まない何かを含んでいると感じさせます。
バルテュスがカギになると思うのですが、原さんがいつバルテュスに興味を持ったのか伺ってみました。


:バルテュス作品との出会いはいつだったのでしょうか?

HR:絵画全般に関しては、中学生の頃から興味がありました。美術大学進学を考えていて、高校3年間は絵画の塾に通っていました。その頃に書店で洋書の画集を立ち読みする形で、バルテュスの絵画に初めて出会いました。それ以来ずっと心の中にバルテュスの印象は残っていました。
:原さんの美術との出会いは絵画が始まりだったのですね。では、写真はいつから始められたのですか?
HR:父親が写真を趣味にしていて家にカラーの暗室を作っていました。その影響で中学生の頃から美術部と写真部に所属していました。暗室の作業は14歳くらいから始めていました。
大学時代は映画に魅入られるようになりました。当時はソ連のアンドレイ・タルコフスキーの作品が好きで、大学卒業する頃には動画の仕事をしたいと思うようになっていました。
卒業して数年後にテレビの制作プロダクションに転職をして、その流れでニューヨークのNHK総局で動画のカメラマンをしていた時期がありました。その後アメリカから帰ってきて独立して、フリーランスの動画のカメラマンをやっていました。
でも、2000年頃から徐々に写真熱が甦ってきて、PENTAXの67を中古で買ったのですが、中古に飽き足らず新品も買い、レンズもすべて揃えてしまいました(笑)。
:なかなかすごいですね。動画の仕事をしながら、写真回帰が始まり、心にあったバルテュスにつながった感じでしょうか?
HR:再び写真を始めた頃に、バルテュスの絵画を夢に見て思い出したのです。そして彼の作品を深く考察したいと感じました。ただ、自分がバルテュスと同じように絵画制作を始めるのはものすごくハードルが高いとも感じました。絵画はバルテュスが生涯をかけて取り組んだジャンルですから、いきなり自分がそれに手を染めてどうにかなるものでもない。それで、自分が少年時代から親しんできた写真を用いて、バルテュスの絵画を紐解こうと思ったのです。それがバルテュス作品に対するオマージュの形で写真シリーズの制作に着手した理由です。
:なるほど。ところでふと思ったのですが、「バルテュス絵画の考察」は大人の女性がモデルですが、「世界を見つめる」は少女がモデルになっています。この二つの作品の間の変遷などあったら教えてもらえますか?
HR:「バルテュス絵画の考察」と「世界を見つめる」の間に、林ナツミの名義で発表している『本日の浮遊』というシリーズがあります(>>本日の浮遊)。

 

[Today’s Levitation: Vietnam Wacoal Corp., Bien Hoa, Vietnam ]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi


HR
:これは林ナツミ自身のセルフポートレートのシリーズでもあるのですが、重力から解き放たれて空中浮遊する女性の姿をアノニマスに表現することで、父性原理で構築された近代の日本や西欧社会において女性が被っている抑圧と、そこからの解放を可視化する、というコンセプトを持っています。
このシリーズで発見したことのひとつに、女性が空中浮遊する姿は「少女性」を感じさせる、ということがありました。空中浮遊する女性の姿は、社会的な「くびき」から自由な女性のメタファーとして、リアルな年齢を超越した「少女性」を感じさせる、という発見です。
ただ、わたしたちが『本日の浮遊』で見いだした「少女性」はあくまで象徴的なものに過ぎませんでした。
一方で画家バルテュスは、実際の少女たちを幼い段階でモデルとして採用し、同じ少女たちを数年間にわたって描き続けるという方法で、実質的に「少女性」を神聖化する制作手法を採っています。
『本日の浮遊』を制作しながら、私たちもできることなら、バルテュスのように長期間にわたってモデルの成長と向き合えるようなシリーズに取り組まなければいけない、と頭の片隅で思っていました。
しかし、自分たちと年齢的にかけ離れたモデルさんとコラボレーションをするような、バルテュスとモデルのような関係性を実際にどのように築くのかは、大きな課題でした。それはバルテュスだから成し遂げられたのであって、私たちにはほぼ不可能なのではないか、とさえ思っていました。
それが、東京から九州の別府へ移住したことによって、街の商店街で偶然出会った子どもたちとの友情に恵まれ、保護者の方々との家族ぐるみのお付き合いが生まれ、やがて「世界を見つめる」の制作へとつながったのです。

 

<セカイヲミツメル>

「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」でも展示された「世界を見つめる」シリーズから、既存作品と新作を合わせて約40点の写真が展示されています。

まず気づくのは、今回の作品シリーズのタイトルがカタカナ表記に変わっていることです。


:今回の「セカイヲミツメル」ですが、東京都写真美術館では「世界を見つめる」でしたが、なぜカタカナになったのでしょうか?
HR:東京都写真美術館で展示させてもらったときは、「世界を見つめる」は現代美術を含むファインアートの表現に属していると私たちは自認していました。
しかしその後、もしかしたら私たちの作品は、ファインアートのジャンルよりサブカルチャーの文脈との親和性が高いのではないかと考えるようになり、今回試験的にタイトルをカタカナに変えてみたのです。
そう考えるようになったきっかけは、6年前に11歳で私たちの最初のモデルさんになってくださった苺さんから、サブカルチャー(いわゆるオタク文化を含む)が今、若い人たちの間でどういう実態になっているか、教えてもらうようになったからです。
苺さんは現在高校2年生で、継続的に私たちのモデルさんを務めてくださっています。彼女はサブカルチャーに強い関心を寄せていて、その分野にとても詳しいのです。
彼女に教えてもらった情報に鑑みて、「世界を見つめる」を世界随一の日本のサブカルチャーに位置づけてみたら面白いのではないか? そう思ったとき、タイトルのカタカナ表記を思いついたのです。

 

[初日に原さん、林さんとモデルの苺さんが展示を見に来られました]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi


HY
:そういえば、映画の「マトリックス」でも本編内でカタカナが使われていますね。
HR:そうですね。最近、私たちも今回のタイトルをカタカナにした理由を考えていて「マトリックス」を思い出していました。「マトリックス」の監督二人は日本のサブカルチャーにも影響を受けたらしいのですが、作品の中でカタカナを鏡文字にしたコードが雨のように流れるシーンがありますね。ああいうものを見直したりしているうちに、直感的にカタカナにしてみようと思ったのかもしれません。
:日本のオタク文化となると、表現が限りなく自由なので、センスが合わない人にはかなり過激と受け止められる表現もありますね。バルテュスもそうですけど、エロティシズムの文脈がより強調されて受け止められてしまう気がしてしまいます。
HR:私たちも最初は面食いましたね。ただ、オタクの世界では、腐女子の方たちのボーイズラブの世界と、いわゆる男性主導の従来のポルノの世界とが、同じくらいの強度と密度で存在しています。そう考えると、オタク文化の世界では男女が対等に熱いエネルギーを発していて、そこではジェンダー差別が非常に希薄だと感じるのです。これは、本来あるべき男女平等の一つの象徴ともいえるのではないか、そんなふうにも感じるのですね。
私たちのモデルさんのメインは10代の女の子たちですが、彼女たちのサブカルチャーに注力する姿を見るにつけ、男の子たちにまったく引けを取らないエネルギーと集中力を感じるわけです。
:なるほど。では、そうなるとモデルさんは男の子でも良い気はしますが、男の子では作品を作れないのでしょうか?
HR:私たちもそれはずっと探っていて、 モデルをしてくださっている女の子に弟の方がいらっしゃる場合や、親戚に男の子がいらっしゃる場合などに、挑戦はしています。
ただ、まだうまくいったケースがありません。写真のモデルをすることに対して、男の子は途中で飽きてしまうようです。撮影を最後まで楽しんでもらえないのです。
それが女の子の場合は一度も失敗した例がないのです。みんな大いに楽しみながら、現場を一緒に作っていってくれるのです。男の子でそういうタイプの子がいればうまくいくと思うのですが。
:まだ、うまくコラボできるような男の子との出会いがないという感じでしょうか。
HY:そうかもしれません。やはり、女の子は基本的にモデルをするのは好きなのではないでしょうか。みんな撮影そのものが楽しみで現場に来てくれるのです。良い写真を撮るには、彼女たちのその気持ちがとても大切なのです。
男の子の場合はもしかすると「男なのにモデルをする」ことに気恥ずかしさがあるのかもしれませんね。それもこの社会のジェンダーの一端を示しているのかもしれません。
HR:私もちょっとそれは感じます。やはり思春期に近いほど、男の子はモデルをすることに対して気恥ずかしさを強く抱くような気がしますね。
:確かにそれはありそうですね。おじさんたちもモデルは嫌がりますからね。
HR:今、メインでモデルをしてくださっている女の子が6人いらっしゃるのですが、長い子では6年、短い子でももう4年のお付き合いになります。初めてモデルさんをしていただいてから、途切れることなく現在まで続いていますから、すごい安定感だと思っています。

 

<即興のステージド・フォトグラフィ>

原さん、林さんの「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」のインタビューによると、「世界を見つめる」の初期のころは、結構作りこんだ作品が多かったようです(>>アーティスト・トーク原久路&林ナツミ(前編))。

:「あしたのひかり」展でのインタビューで、「世界を見つめる」の初期作品は作りこんだ作風が多く、それが徐々に即興的な作風に変わっていったとありました。例えばこの写真(冒頭の黄色いレインコート姿の写真)は初期の作りこんだ作風だと思うのですが、その後に即興的に作った写真があれば教えてください。
HR:実はこのレインコート姿の写真はどちらかというと即興的なのです。
この日は、苺さんが見たい映画があるということで、一緒にDVDを鑑賞するのがメインのアクティビティの日だったのですが、昼に降っていた雨が夕方にやんで、夜になるといい感じに霧が出たので、急きょ思い立って撮影に出かけたのです。
事前の絵コンテはなしです。凝ったように見えるかもしれませんが、どちらかというと即興的に撮った写真ですね。
HY:すごく作りこんだ作品は「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」展でバナーになっていた作品ですね。大きく引き伸ばして展示会場の入口に設置した作品です。

 

[苺猫 (1) 2015(「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」展/東京都写真美術館バナーデザイン)]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi


HR
:これは25コマのつなぎ撮りです(25枚の合成)。 苺さんの体の部分だけで2コマつなげています。
夜の撮影で現場の光源が安定していたので、周囲の建物は全てつなぎ撮りです。レンズのノーダルポイント(※1)を出して、ジンバル雲台を使い、カメラの画角を少しずつずらしながら撮っています。
あらかじめ現場の商店街に挨拶に行き、ロケハンの許可を得たり、夜なので照明を焚いて撮りますという話を伝えて納得していただいたりしました。
HY:そういう初期の凝った撮影の時期を経て、その後は徐々に、モデルさんと一緒に歩きながらスナップショットのように即興的に撮るようになりました。先ほどのレインコート姿の写真は即興的になって以降の作品で、手持ちの1回撮影です。でも近ごろはまた、作りこむようになってきましたね。
:即興的に撮るというのは、モデルさんとの相互理解が進んだということでしょうか。
HR:まさにそうですね。
当初はモデルさんが幼かったこともあり、私たちが全て決めなければいけないと思い込んでいたのです。徹底的に作り込んだ撮影現場を用意して、モデルさんにはただそこに来てもらってポーズを取ってもらうだけの撮影にすべきだと思っていたのです。
しかしその後、お互いの関係性がこなれてリラックスしてくると、よりスナップショット的な方向にシフトすることによって、モデルさんのバイタリティーが余すところなく発揮されることがわかってきました。ニセの双子を合成で作るという発想も、リラックスしたモデルさんたちと撮影のアイデアを話し合ううちに生まれました。
そして今、高校生に成長したモデルさんたちには、どちらかというとより凝った撮影の方が面白いと思ってもらえているようです。

 

[Untitled(咲公)2021]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi


HR
:これは展示作品の中の最新作なのですが、最初からある程度イメージがこちらにもあって、それをモデルさんにも理解していただいて撮影しています。カメラはPENTAX 645Z、レンズはsmc PENTAX-FA645 MACRO 120mmF4の開放で撮影しています。縦位置で撮影して横に3枚つなげています。

:大変失礼な話なのですが、中央のモデルさんはともかく左右の2枚はコンクリートと海と空です。これは、1枚でよかった気もするのですが…。
HR:解像度を高くしたかったのです。
縦位置でモデルさんがいっぱいに入る構図を中央の1枚として撮影し、光が変わらないうちに雲台をノーダルポイントで振って左右の海の背景を撮る、というのを1サイクルとして、モデルさんのポーズを逐次変えながら撮影を繰り返していきました。

:これはそれこそ1億2000万画素くらいになっているわけですね。
HR:そうですね。プリントを直接見ていただければわかりますが、まつげを間近に鑑賞してもまったく粒状感はなく、左右のコンクリートの質感はあたかも手で触れられそうなリアルさです。
また、このレンズは開放がとても美しいのですが、合焦部分とボケ部分の画像の差も高解像度だからこそ表現できて、とくにボケ部分の柔らかそうなフワフワ感をうまく出せたのではと感じています。

※1「ノーダルポイント」:複数枚を撮影して1枚に合成する際に、三脚で普通に回転させて撮影すると視差によりうまくつなぐことができない。ノーダルポイントは複数枚を合成する撮影方法において視差をできるだけ少なくするための、カメラの回転中心のこと。同じ焦点距離でもレンズ構成や撮影距離によってもその位置は異なる。

 

<絵画と写真>

:「セカイヲミツメル」には合成写真があります。明らかにそれとわかるものもあれば、こっそり合成している写真もありますね。
例えばこの写真ですが、苺さんはこちらを向いているのに窓の中では進行方向に向いている。まるで、クイズ番組の間違い探しみたいで面白いのですが、このように合成を入れる理由があれば教えてください。

 

[Untitled(苺)2021]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi


HR
:間違い探しとおっしゃいましたが、果たして何を間違いとするのか、答えは一つではないかもしれませんね。そして仕上がりが自然だった場合には、もしかしたらそもそも間違いはないのかもしれません。
:あ。間違いを探すというわけではなく、何か違うところを探すという意味です。全然間違いではないです。
HR:絵画的に考えるとよくある事だと思うのです。この写真を絵画で例えてみましょう。
画家は様々なスケッチをしています。座っている女性のポーズはある一つのスケッチから選んでキャンパスに落とし込み、鏡に映っている横顔は別のスケッチから選んで鏡の中に描き込む、という可能性があると思いませんか? 仕上がった全体が自然に見えれば、リアルな場面に見えるということだと思います。
いずれデジタル加工の技術が進めば、必ずしも写真と絵画を分けて考える理由はなくなっていく気がしています。
絵画しかなかった時代に写真の技術が登場したときには、両者の差別化はきわめてクリティカルな事でしたが、今はフィルムで撮った写真をデジタル化してプリントする時代ですから、アナログとデジタルの敷居も非常に曖昧になっていると思います。
もっとポジティブに言ってしまえば、デジタル技術によって絵画的表現と写真的表現が融合できるようになれば、写真が撮影者の意図を視覚的に(=絵画的に)反映するのは、自然な成り行きだと感じています。
その意味で、画像合成などのデジタル加工を施した写真を、絵画的な文脈で鑑賞することは、別段おかしなことではないと認識しています。
ところでこの写真、実は3枚の写真の合成です。手前に座っている少女と、窓の中に映っている横顔、そして窓の外を通りすぎる青と赤の光の背景を合成しています。
:その3枚を得るために何枚くらい撮影したのですか?

HR:画面手前側のコンパートメントに三脚を立てて撮影したのですが、撮影を始めてわりとすぐに目的地の駅に到着してしまったので、50枚くらいだったと思います。
:以前のインタビューでは1000枚撮影するという話もあったとか。それに比べれば50枚はまだまだ少ない範疇に聞こえます。ところで、デジタル合成された作品が1点でもあるとなると、ストレートに普通に撮影された作品を見ても、何かが隠されているのではと勘ぐるようになってしまいますね。それもこのシリーズの一つの楽しみ方かなと思います。
例えばこの写真ですが、女の子が小さく見えます。

[Untitled(糸麻)2018]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi


HR
:この作品もつなぎ撮りで解像度を稼いでいます。25コマまではつなげていませんが、9コマくらいのつなぎ撮りをしています。ただ、女の子はリアルサイズですよ。普通に大人が使う階段に小学生が立ったらこんな感じです。
:そうなのですね!ほかの作品に巨人サイズの大きな女の子の写真があったので、これは逆に小さくしたのかと思ってしまいました。いや、人の目はあてにならないですね(笑)。
HR:小さくしたのかと思っていただいていいんです。私たちが驚くような、思いもよらない切り口で鑑賞していただくことは、私たちの楽しみでもあるのです。
それにしても写真というのは、何かあるんじゃないかと勘ぐり始めると、きりがないものですよね。デジタル合成に限らず、わたしが子どもの頃に流行った心霊写真もそうでしたが……。

 

実に1点1点について話していると、本当にきりがないのです。ここにご紹介できない話もまだたくさんあります。
この記事を書きながら思い出したのですが、まだ写真が発明されて間もない19世紀にヘンリー・ピーチ・ロビンソンという写真家がいました。
この人の代表作に「臨終(消えゆく命)」という作品があります(>>メトロポリタン美術館HP)。
この作品では、室内の様子も窓外の風景もきちんと適正な露出で写っていますが、しかしよく見るとそこかしこに違和感があります。それでいて、場面の物語性は鑑賞者に自然に伝わってきます。
この写真家は複数枚の写真を1枚に合成する手法で作品を作っています。絵画の表現を写真でやっていたわけです。このような写真のジャンルを「ピクトリアリズム(絵画主義)」といいます。
その後ピクトリアリズムは、写真の感光材料の発達やカメラの小型化などで、被写体をそのまま撮るストレート写真に駆逐されて置き換わっていきます。一時期は絵画の模倣であると批判されたりもしました。
原さん、林さんはデジタル技術を駆使し、ピクトリアリズムを現代によみがえらせていると思います。ただし、ピクトリアリズムといっても、使われている技術がデジタルになることで絵画と写真の境界が薄れているわけですから、絵画の模倣とは言えません。ネオ・ピクトリアリズムと呼んでもいいのかもしれません。

ここで改めて「バルテュス絵画の考察」を見ると、どことなく不自然で、ポーズもちょっと辛そうです。

 

[A Study of the”Katia Reading”]

©Hisaji Hara & Natsumi Hayashi

 

この不自然さは絵画から引き継つがれた表現と考えると、写実的なようでいて写実から離れている。そこがこの写真を見たときに感じる「言うに言われぬ魅力」になっているのだと思いました。
「セカイヲミツメル」では、この表現をたずさえたまま、少女とのコラボレーションで作品を作っているのですから、何とも言えない魅力が1枚1枚に宿っているわけです。
そして、複数枚を合成して生みだされる「超」高解像度の世界は、大きなプリントで見ることでより一層リアルに堪能することができます。
1/23現在、東京都ではまん延防止等重点措置が講じられていますので、なかなか見に来てほしいといえない状況ではありますが、写真は大声を出して見るものでもありません。
十分対策をされて見に来られてはいかがでしょうか。

実はギャラリーに隣接したショールームでも、原さんの現行シリーズ作品「After Tokyo・東京後」を展示しています。
最後にその様子をご紹介したいと思います。ショールームにあるカメラと写真のコラボレーション。なかなか素敵な展示です。この写真たちも1枚1枚に物語が込められていそうですね。

 

 

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