~広い広い世界を、自分の思い通りに切り取れるなんて最高じゃないか。

第18回「何でもないものを切り取る」

「何撮ってるんですか?」

趣味にせよ、仕事にせよ、写真を撮っていると話すと、こう聞かれることがあるだろう。

この質問が、実に困る。風景、鉄道、ポートレートのようなわかりやすい被写体なら、答えに困らない。でも、何でもない何となく気になるものです。という答えは、相手を満足させない。

 

 

 

 

今日も相棒は、KP+HD PENTAX-DA 40mmF2.8 Limited+smcPENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6ED AL[IF] DC WR。
ストラップは、こだわりの白地に赤いPENTAXのロゴが入ったものを愛用している。オークションで手に入れた、80年代のものだ。

 

 

 

絶景でもなければ、決定的瞬間でもなく、クスッと笑える面白い写真でもない。何でもない何となく気になるもの。そんな写真を撮っている者にとって、よい答えはないだろうか?

 

 

 

 

「日記をつけるように、その日、目で見たものを写真にしているんです。」というのは、どうだろう?

日記ならば、相手にとっては、大した内容でなくても、自分にとっては、大切な記憶で記録だ。それに相手も日記と言われれば、それ以上は踏み込んでこないだろう。

 

 

 

 

日記といえば、日記と写真は似ている。どちらも自分のために記録するものだ。

イベントがなくても、事件が起こらなくても、毎日は過ぎていく。筆まめでもなければ、文章には残しにくい。でも、写真を撮る者なら、写真に残すことが出来る。

目の前のなんでもない日常を切り取ればいい。夏休みの宿題だった日記のように、書くことがないから、どっか連れて行ってとねだらなくてもいい。ファインダーを覗けば、そこには、自分だけの、その日、その時が見える。あとはシャッターを切るだけだ。

 

 

 

取り立てていうほどのこともない、ただの日常。だけど、自分にとっては、何だか気になるものの写真。それこそが、揺るぎない自分自身なのだ。そこに難しい言葉は要らない。

いつか、時が経って、日記を読み返すように、写真を見返せば、そこには、きらきらと愛おしい日々が写っているはずだ。