2023年4月にPENTAXから、モノクロ専用デジタル一眼レフが発売された。しかしこのカメラの価値は未だ、航空機写真の世界に知られてはいないようだ。この全3回連載では航空機撮影におけるモノクロ写真の意味、そして航空機撮影の意識を変革するK-3 Mark III Monochromeの革新性について、クラブハウスで行ったセミナーの内容を追補したい。
モノクロ写真の受容性は自由な表現を可能にする
デジタル写真の普及当初こそ画像調整は「写真を弄る」もので邪道とする意見もあったが、近年の動向からは思い切った仕上げ方で自身の世界を表す愛好家の広がりを実感する。モノクロ写真でもストレート現像が鉄則、紙焼き時に補正トリミングせず撮影で決めるのが至高といった教えは昔から言われていた。それに対し撮影後も技巧を凝らし、芸術的なプリント作品を完成させてきた写真家も居るわけで、銀塩モノクロもまた暗室で写真を「いじって」きたのであり、流儀の是非論は今に始まったことではない。とはいえ大胆な表現を目指す場合、カラー写真には引っかかる点がある。カラー写真には色が存在し、それは現実の色彩を写したものだから、カラー写真はリアルと強く結びついていると言える。それを大きく改変すると現実との乖離が生じ、意図的な加工には違和感が目立ってしまう。つまりカラー写真は被写体の造形に加えて色も写し撮る性質ゆえ、記録報道的な傾向の強いリアルに縛られたフォーマットと言えるのだ。対してモノクロ写真は被写体をグレースケールで表す。人の目に映る光景には色彩があるのに、端からそれを捨て去っている。という事は、モノクロ写真は撮影時点で現実の光景を抽象化していると言える。写真黎明期の技術的妥協による副産物とはいえ、現代においてこれは極めて過激な改変だ。この、撮影結果がリアルと大きくかけ離れているというモノクロ写真の特徴は、そのまま自由な表現志向に対する受容性の高さへと繋がる。奇抜な構図、野心的な狙い、劇的な絵作りといった積極的なクリエイティビティを、大きく受け止める懐の深さと可能性の広さが、モノクロ写真にはあるのだ。
K-3 Mark III Monochrome + HD PENTAX-FA 31mmF1.8 Limited ISO200 百里基地航空祭2023
例年、百里基地航空祭の本番前日には地域住民公開日が設定されており、小美玉市民である私は意気揚々と基地内へ入場した。だが、あろうことか天候は曇天に加えて濃霧という最悪の状況、予定されていた展示飛行は次々とキャンセルされ地上滑走のみとなる。しかし私のテンションは下がらず、かえって撮る意欲は満々だ。なぜなら、カラー機では終了の悪条件でも写真画を成立させられるモノクロ専用機、K-3 Mark III Monochromeを手にしているからだ。悪天候に会場はギャラリーもまばら、超満員となる好天時は容易に辿り着けない最前列ロープ際へ進出。模擬発進のため続々とGE F110エンジンを始動し発進するF-2Aを、至近距離で追いかける。さて、カメラを斜めに傾けタキシーアウトするF-2Aを撮影したこの構図は、モータースポーツ写真等で見かけるテクニックに倣ったものだが、航空機写真では余り馴染みがない。理由として、地上走行する航空機はレースマシンのように高速で右へ左へとコーナリングはしない、というものがあるだろう。しかしモノクロでこの技法を試みるとじつに違和感がなく、駐機位置から出て左転回する機体の動感がダイナミックに表現されている。これは光景をグレースケールに変換するモノクロの描写特徴が、非現実的なイメージの成立に高度な受容性をもつという、ひとつの例と言えるだろう。なお、構図を傾けるにあたってはトリミングで後から対処する方法もあるが、デジタル画像で角度補正を行うと画素補間が入り解像力は低下する。非ベイヤー方式にして撮像面位相差AF画素を持たず、完全無補間画像を出力できるK-3 Mark III Monochromeの最高画質を活かすなら、基本にのっとり撮影時に構図を決める方が、極上の成果を獲得できる。
K-3 Mark III Monochrome + HD PENTAX-DA 560mmF5.6ED AW + HD PENTAX-DA AF REAR CONVERTER 1.4X AW ISO800 航空自衛隊新田原基地
2023年12月に実施された宮崎県新田原基地の在日米軍訓練移転で、米海兵隊岩国基地VMFA-242所属F-35Bが離陸のため滑走路へ進入する。このタイミングで全天曇りになってしまい色彩感は失われたが、雲の明暗により機体と後方の背景にコントラストが生まれた。さらに陽光の消失で地表から上がる陽炎が弱まり、快晴日中下なら精密には写らない1200ミリタキシングショットを狙える好機の到来である。このような撮影条件はカラー写真でも一定の仕上がりを望めるが、カラーであるがゆえ晴天時と比較して「天気が悪い」すなわちあまり綺麗ではない、冴えがない、要するに「残念でしたね」という印象で捉えられやすい。そこでK-3 Mark III Monochromeの出番だ。この高画質モノクロ専用機で純度の高いモノクロ画像を撮影し、イマジネーションに従って明暗比をグイグイ切り詰める。すると背景や低輝度部は暗く沈み、天空から曇り空の拡散光を受けた高輝度部が際立ち、深宇宙から飛来した有機生命体のようなステルス機の造形がモノクロームの世界に浮かび上がった。これはモノクロ写真ならではの魔法、「モノクロ・マジック」が描き出した一種の抽象画だ。こうした画像の創り込みは作者の独自性が表される一方、カラー写真では「弄り過ぎ」という批判も生じる。「撮って出し」という言葉があるように撮ったままが全て、それが「写真」というものだ、とする主張は「俺の腕を見ろ」的な話はさておき、実のところ色があるがゆえ現実の光景に感覚を縛られる、カラー写真の記録報道的な性質に引っ張られている。そもそも「写真」という言葉に「真」の一字があるのが曲者で、英語の「Photograph」は「Photon(光子)」で描く「Graphic(描画)」つまり「光画」を表しており、記録性に重きを置いたいわゆる「写真」という言葉は「リアルフォト」「ストレートフォト」と呼び、「フォトグラフ」全般とは分けて考えるべきものなのだ。その点、モノクロ写真は世界を単色で表す事からもはや非現実的であり、そこに創造力を自由に展開させられる土壌がすでに出来上がっている。故に私はモノクロ撮影を、表現志向の乗り物写真愛好家に問うてみたいのである。
「JET JET JET」が表す「モノクロだから表現できた世界」
ここでモノクロ航空機写真の先駆けを成した、「青木 勝」氏をご紹介したい。日本における航空機写真表現の第一人者「青木 勝」氏は1975年、日本初の航空機写真鑑賞作品集「JET JET JET」で独自の世界観を表した。本書は全編モノクロ作品で構成されているが、連載第1回で紹介したテクパン超高精細主義ともまた趣を異にし、粒状性を強調し荒々しさを出す、陽炎による揺らぎを捉え幻想的なニュアンスを生み出す、意図的なブレ流しによる動感の表現など、挑戦的な作風で航空機写真界を驚嘆させた。この「JET JET JET」に見られる前衛表現の数々は、モノクロ写真の受容性を最大級に活かしたものと言えるだろう。写真ではあるが写実ではない、イマジネーションをエスカレートさせるフォーマット。カラー時代のモノクロ写真はそのように解釈する事ができ、それは写真の論法上でイメージを自由に操れる事を意味する。だからこそ私は航空機を題材にしたアートを志向する愛好家にもまた、K-3 Mark III Monochromeを強くお勧めしたい。比類無き高純度なモノクロ素材をアーティストに提供する、アーティスティックな資質を備えた孤高のカメラ。それはモノクロ専用機K-3 Mark III Monochromeを於いて他にはない。なお「JET JET JET」は現在も関連作品をWebマーケットなどで閲覧・入手する事ができる。モノクロ航空機写真をやってみると、余人の追随を許さない「青木 勝」氏の感性と先見の明、その偉大さに感銘をあらたにする。
K-3 Mark III Monochrome + HD PENTAX-D FA★70-200mmF2.8ED DC AW ISO12800 航空自衛隊新田原基地
夜間飛行訓練から帰投したF/A-18CのタキシーバックをK-3 Mark III Monochromeで新田原基地の誘導路上に追う。デジタルカメラの高感度性能向上で普遍的となった分野に、航空機の夜間撮影がある。長時間露光に依らない動体夜間撮影、通称「夜撮」はデジタルカメラの進歩が拓いた撮影領域だが、多くは都市部の民間空港で実践される。それは補助光源となる人工照明が多いこと、それら照明灯火類の色味がきらびやかであることに理由があり、言い換えれば辺り一面真っ暗な飛行場での夜撮は、教科書的に言うなら推奨されない。では、この夜撮をモノクロ写真で行ったらどうだろう。カラーの夜撮は照明灯火の色彩がその印象を華やかにしているが、モノクロ写真では全てが無彩色となるから夜撮しても映えが無いように思える。だが「漆黒の闇」という言葉が表すように夜は純黒に近いブラックが画面の主体となり、灯火に浮かび上がる明部はホワイトで描かれる。これこそまさにB&W、白黒表現の究極だ。ここでK-3 M ark III Monochromeの驚異的な高感度性能が威力を発揮する。カラーフィルターが無いモノクロ専用撮像素子は光の透過率が高く、受光感度は殆どのカラーフィルター付きベイヤー方式フルサイズ撮像素子に対して2EV超の差がある。これによりISO12800以上の超高感度域でもAIノイズリダクションでは到底敵わない、低ノイズ・真解像な夜暗撮影をK-3 Mark III Monochromeは実現する。モノクロで撮る夜景は暗夜の深みと明部のコントラストを強調でき、「暗い飛行場での動体夜撮は無意味」とする固定観念を変える。これらもまたモノクロの抽象化マジックによるものであり、撮影条件が厳しくなるほど真価を表す、モノクロ専用撮像素子ならではの革新と言えるのだ。
K-3 Mark III Monochrome + HD PENTAX-D FA150-450mmF4.5-5.6ED DC AW ISO16000 航空自衛隊築城基地
夜の闇に包まれた飛行場で滑走路開放するF-2A。前照灯の強烈な光が、誘導員の姿を浮かび上がらせた。夜撮は日中撮影と比較して自由な表現が許容されている。一例はホワイトバランスをタングステンや電球色設定にして全体の色味を青くするというもので、この改変は問題視されない。撮影時の画像操作は真を写す哲学とは矛盾しない、という理屈があるかは別として、日中光景は色のイメージが固定されているためリアルカラーとの乖離は違和感を産む。一方、払暁薄暮など基準色からの偏差が広がる場面は色の解釈に幅が出て、そこが表現の余地になる。そして夜に至ってはベースが漆黒の闇で光源は色調がバラバラな人工照明となるため、視覚とまるで違う色操作を行っても不問となるのだろう。よって、夜は表現の自由度が高いと理解できるが、そこで色味を完全に抜いてしまうというモノクロの大胆な改変は、夜撮においてもインパクトをもたらす。例としてこのシーンはカラーで撮影するよりモノクロで撮る方が、闇夜に浮かぶF-2Aの姿と整備員のシルエットを強調できる。カラーでは灯火や機体の色彩が画面上で主張し合い、夜陰の締まりを濁らせ主題を曖昧にしてしまうのだ。ところがモノクロではおぼろげな機影と人物の影が白黒明暗の二極化で描写され、「機体灯火に浮かぶ人物」という構図の狙いが端的に表現される。加えて前景両端には避けられない木枝がありカラーでは色付いて猥雑なのだが、モノクロではシンプルな影となって、木々の間から秘事を見るかのような演出をもたらすセットに変貌した。色の無いモノクロ夜撮なぞ、とは侮れない。もしかしたらその夜撮は色が邪魔をしているかもしれない。夜もまたK-3 Mark III Monochromeが、本領を発揮する時間帯なのだ。
モノクロ専用一眼カメラはPENTAXにしか作れない
K-3 Mark III Monochromeの驚異を知るにつれ、私は他メーカーがこの製品を捨て置かず、早期に並走してくるのではと訝しんだ。だが何処からか聞き及ぶに、事はそう簡単ではないようである。まず一説に、このカメラはカラー撮影用センサーのカラーフィルターを外したら出来たという単純なものではない。社内では相当な研究開発を重ね、ついに本製品を完成に漕ぎ着けた。その上、本機のモノクロ専用撮像素子はある理由で手工品に近く、矢継ぎ早の生産は出来ないとのことだ。一方で聞こえて来る他説に、本機の開発には幸運も味方したというものがある。モノクロ専用デジタル一眼レフという着想に対して試行錯誤する中で、カラーフィルターを外したらK-3 Mark IIIに取り付けられそうな撮像素子の道筋が見つかった。或いは、K-3 Mark IIIはそうした物を受け入れる余地のあるカメラであった、しかしてK-3 Mark IIIにモノクロ専用撮像素子を搭載する活路を見出せた、等々。製造企業の重大機密であるから核心は不明瞭だが、要するにこれらの要素が複合的に重なり合って製品化の目処が立ち、K-3 Mark III Monochromeは現実的な価格で世に送り出す事ができた、ということらしい。これがK-1 Mark IIやRICOH GRの改造となると、モノクロ撮像素子も実装部もイチからの新規開発となり、そこに巨額の開発費用を投じた製品の価格は幾らになるのか、そんな非友好的な程の高額商品がどれだけ売れるのか、という話に立ち戻るそうだ。これらの課題は当然、他社においても同様の障壁となる。海の物とも山の物ともつかぬ自社モノクロ専用撮影機のために、別途カメラとセンサーを完全新規開発するリソースがあるのか、その莫大なコストは回収・黒字化できるのか。そんな博打に打って出る酔狂なメーカーは当面現れず、今まで通りミラーレスカメラにモノクロ撮影モードを入れて対処する流れになるだろう。つまり「モノクロ撮影専用デジタル一眼レフ」などという尖りまくったレンズ交換式一眼カメラはK-3 Mark III Monochromeがオンリーワンということであり、すなわち正しくモノクロ航空機写真に向き合うのならば、真実にして唯一無二の回答はK-3 Mark III Monochrome。そしてPENTAX Kマウントレンズ群、という選択になるのである。
K-3 Mark III Monochrome + HD PENTAX-DA 560mmF5.6ED AW + HD PENTAX-DA AF REAR CONVERTER 1.4X AW ISO640 航空自衛隊/米空軍三沢基地
三沢基地をホームとする「PACAF Viper Demo Team」は、F-16Cによる曲技飛行を披露する展示飛行部隊。その演技のひとつ「ファルコンターン」を、ド逆光となる三沢航空科学館側から撮影した。連載第2回で解説した通り三沢基地の撮影環境は光線が難しく、絵になるアクションがあっても順光側は機体下面のショットが殆どだ。と言って旋回中の機体上面を撮影できる北側で撮っても滑走路方向は基本的に逆光、カラーでは真っ黒シルエットかスカスカ真っ白のどちらかになる。なのに、このカットは明部暗部とも充分な再現が成されており、まるで順光撮影したかのように見える。確かに午後の時間帯に回り込む西日を利用してはいるが、早い時刻だとその効果も不充分だ。これはK-3 Mark III Monochromeの設定感度を上げてややハイキー気味に撮影し、シャドーディテールの再現を確保して現像でハイライトを寝かすという技法を活用している。カラーでこれをやると空が白飛びしたり色再現が不自然になりやすく、機体シャドー部も色かぶりが出て画像品位が低下する。また、ベイヤーセンサーカラー機の中高感度寄り設定は、本機と比較してノイズの増加と解像力低下が否めない。昨今は小型軽量利便性を謳い望遠端f値の暗いレンズが頻出するようになり、その理由にデジタルカメラの高感度性能向上、AIノイズリダクションの出現などが挙げられるが、実態は依然として期待できるものではなく、ストレートな高画質写真と細部比較すれば相変わらず用途は限定的だ。そもそも本当に高感度性能が向上したミラーレスカメラなぞ、どこにどれだけあるというのか。これらの問題すべてをK-3 Mark III Monochromeは、本質的に解決する。比較対象がベイヤーセンサーである限り、航空機の微粒子精細描写と場面対応力の高さは、K-3 Mark III Monochromeが上位に在り続ける。これが連載第1回で私が「航空機撮影におけるテクニカルパンモノクロ写真の再来」「航空機写真でカラーはモノクロに勝てない」と絶望的に評した所であり、写真の原理的な仕組みに定められた、歴史は繰り返す覆せない理(ことわり)なのである。
K-3 Mark III Monochrome + HD PENTAX-D FA150-450mmF4.5-5.6ED DC AW ISO400 航空自衛隊百里基地
クラブハウス企画「K-3 Mark IIIと征く・復活の空」第1回セミナー内で、茨城県小美玉市在住ゆえ百里基地事情通を気取る私は「最近はもうウエストランウェイテイクオフはありません」と訳知りな言を述べた。その大見栄はセミナー翌日、突如実施されたウエストランウェイ離陸で撃破される。YouTube同名動画の第1回と第2回では、妄言と言い訳を述べる私の恥態を観察することができる。さてその後、時折行われるようになったウエストランウェイ離陸に私も巡り合えた。世界的に見ても一二を争う外柵からの近さを誇る百里基地西側滑走路を、アフターバーナー全開で離陸してゆく戦闘機の大迫力は凡そこの世の体験のなかでも常軌を逸している。ところが、いざ離陸というタイミングで積雲が太陽を隠してしまった。カラーでこれを撮っても蒼暗く沈んだ機影にブルーハワイのような蛍光色の空となり、どうにも救いようがない。速攻でボディをK-3 Mark III Monochromeにスイッチ。予め雲の接近を見てモノクロ専用機をスタンバイさせておいたのだ。ところで、快晴は航空機撮影にとって、本当に好機なのだろうか。遠距離超望遠撮影の障害となる空中や地表付近の陽炎は、晴天下の午前9時から16時頃まで撮影者と航空機の間に立ちはだかり、最高の天気に喜び勇んで撮りまくっても、結果は陽炎によるピンアマのオンパレードだ。高額機材の性能か故障を疑いたくなるようなこうした現象に悩まされると、晴天は陽炎の無い曇りや雨よりタチが悪いと思えてくる。この時も太陽が陰らなければ、果たしてシャープに結像したのだろうか。モノクロで撮ると、そんな思いも浮かぶようになってくる。これはつまり、所有機材と自分の場面対応力が拡がったということだ。一旦はその登場に愕然とし、アイデンティティを揺るがされたとも思えたが、私はPENTAXIANでKマウント超望遠レンズを持っている。今は現有戦力に超高画質モノクロ専用一眼レフ「K-3 Mark III Monochrome」が加わったことを、心から喜びたい。1994年刊行の写真集「F1GP」で、私が憧憬するPENTAX使いのF1写真家ジョー・ホンダ氏は「モノクロを撮らないと、自分の写真が無くなる。」と述べた。また、やはり尊敬するF1写真家の原 富治雄氏は同書で「モノクロの紙焼きが出来てこそ、カラーの色が見えてくる。最後は光の使い方だ。」と語った。こうした言葉の背景には、カメラマンの仕事が撮って出し以外に創造余地の無い、インスタント写真も同然のカラーポジに支配された時代への危機感があったのだろう。一口に銀塩フイルム時代はと壮語しても、写真への想いは各人各様であった。それらの真意を知るには「昔モノクロをやっていた」というアリバイだけで想像しても、理解には及ばない。このデジタルカラー時代にモノクロで撮り、モノクロには何があるのかを確かめてゆきたい。私のモノクロ航空機写真への挑戦は「K-3 Mark III Monochrome」と共に、いま此処からあらたに始まったのだ。