写真は芸術だといっても記録性から逃れることは出来ない。撮った時はなんてことないものでも、時間が経つと情報が増えることはよくある。昭和の日常をおさめた写真も今では貴重な資料となっている。情報量が増えるのは、見る側の知の欲求がそこに加算されていくからだ。
ドキュメンタリ写真に多く見られる、実際に被写体と同じ境遇に身を置くことでより内側から見つめようとする、参与観察と呼ばれる手法がある。山谷地区、築地市場を内側から撮ってきた私にとって、中から撮るということは重要な視点になっている。見る側からすればどうでもいいことなのだろうけど、写真行為というのは見えない部分・プロセスにこそ作家性が出るものだ。
では都市写真、都市風景を内側から撮るということは何を意味するのであろうか。目黒区民だから中にいると言うのではあんまりだし、撮りながら考えようと一度外から東京を見るべく多摩川の対岸に行くことにした。
京急大師線にのって東京の対岸にある川崎の小島新田駅に降りる。ほんの少しだけ東京の外に来ただけなのだけど、ちょっとドキドキする。京浜工業地帯の乾いた空気に開けた空、なんとも贅沢な景色。多摩川の川崎側から対岸の景色を撮影し、橋を渡ってその場所に行って今度は逆に東京側から撮ってみる。その一連の行為から気づいたことがあった。
ある街を遠く感じるというのは、言い換えると自分との関連性が薄いということである。薄いのであって無ではない。無であればそもそも近くも遠くもない。それは自分が生きている世界の外の話なのだ。今まで外と中とで世界を考えて来たのだが、実際は「外と中と、その他の世界」の3種類によって考えるべきなのだ。仮に他の場所を撮ろうとするのであれば、そこに自分の根幹とつながるものを一から作らないといけない。
自分が東京以外、それこそ海外で写真を撮らない(撮れない)のは自分とコネクトしていないからなのだ。関係性のない街にはどうしても中に踏み込めない。どうしても表層的な写真になってしまう。写真として良くても、そこに何の価値も見出すことはできない。
知らない街をさまよう私の原体験は、受験をひかえた高校生の時分に遡る。親に隠れて塾をさぼって知らない街の夜道を歩いていた時の事。明るい街の灯は罪悪感を照らすようで私はどんどん暗い方へ歩いていった。まだ自分がどこにいるかを知るにはせいぜいコンビニで売っている地図を見るくらいしかなかった時代。でもそれがよかった。迷子になれるっていうのは贅沢なんだ。今の時代フィルムカメラが象徴するように、便利さを買うより、不便さを買うほうがよほど高くなった。
ただ、知るから撮れなくなるものもある。中に入ってしまったがゆえに撮れなくなることもある。この罠がとても深いのだ。
©Sho Niiro