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視考する写真 第6回「リアルを超えたゲームのスクショは写真になり得るのか」(新納 翔)

ここ最近のコンピュータ・グラフィック(CG)はリアル過ぎて実際の写真と見間違うほどのクオリティになっている。映像作品から何気なく見る広告と、我々の身近な所に溢れている。時にCGを本物の写真だと思い込んでいたというのも、よくある話である。一番その進化が分かりやすいのはゲームの世界ではないだろうか。

 

 

子供の頃に遊んだファミコンのスーパーマリオブラザーズ(1983年発売)、まだ2Dのドットで描かれた世界に夢中になって遊んだものだ。驚くことにスーパーマリオブラザーズのデータ容量はたったの40KBしかない。PENTAX K-3 Mark IIIのRAWデータが約30MBだからおよそ750倍もの差がある。だからといってマリオの世界は窮屈ということは一切なく、子供心に夢で溢れていた。それはドットで書かれた雲や城といった単調な背景にプレイヤーが思い思いの情景を投影し、頭の中で補完していたからだろう。

 

 

 

それから30余年。最近のゲームは著しい進化を遂げた。2020年に発売された『Ghost of Tsushima / ゴースト オブ ツシマ』は、その息を呑むグラフィックが世界中で絶賛されたアクションゲームだ。子供の頃遊んだマリオでは背景をじっくり眺めるようなことはなかったが、ここまで綺麗なグラフィックになると崖から見える景色を眺めるだけで壮大な世界観に浸れる。

 

ゲーム内にはフォトモードというプレイ中のシーンを保存するモードがある。ここで、ゲームシーンを保存することを「写真を撮る」と表現していることこそ、写真撮影という言葉の定義という観点から見ても実に興味深い事象なのである。これらは既に「In-game photography」と呼ばれ、一部では新しいメディアアートとして認識されている。

 

 

このフォトモードを使って、「Ghost of Tsushima」ではオンラインのフォトコンテストが開催された。他のゲームでも「In-game photography」の投稿は盛んで、中にはそれをPhotoshopで加工して新しい世界を作っている人もいる。

筆者は「Ghost of Tsushima」を持っていないので、テイストが似た「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE | 隻狼」という戦国を舞台としたゲームで「In-game photography」を撮ってみたので参考にして欲しい。

 

 

薄暗い部屋で主人公の頬に当たる蝋燭の光でより深みを出そうと立ち位置を微調整したり、ちょっと前ボケを入れて立体感を出してみようとか、カメラのアングルを色々比較してみたりと、やっている事はまるで撮影行為なのだ。

 

レンズのf値を変えて被写界深度をコントロールすることや、時刻を変えて影の落ち方を変化させることもできる。時刻を変える機能は都市写真を撮る者として実に羨ましい。陽が当たっていればと撮リ直しにいくこともなくなる。RAW現像の時に時刻から季節まで変更できるとなれば夢のようだが、それが写真なのかは難しいところだ。

 

 

スクリーンショットが写真作品として認識されたのは2000年代中頃だったと記憶する。今では一般的になったGoogleのストリートビューをスクリーンショットに収めたモノクロ作品だった。それが海外のフォトコンペで賞を取った時、自分の中で写真の歴史が大きく変わる予感がしたのを今でも覚えている。

デジタル写真はデータ。記録されているのはあくまで英数字の羅列であり、我々が見ているデジタル写真というものは、あくまで撮影時に見た景色に非常に近似した単色ピクセルの集合体である。「In-game photography」との違いといえばオリジナルが現実世界に存在するかどうかというところだ。

 

 

ただ、視点を変えるとどうだろう。ゲーム内の主人公からすればオリジナルは存在するわけだし、その主人公を操作しているのは画面の前のプレイヤーなのである。ゲーム内の主人公=プレイヤーとして考えれば、「In-game photography」はスクリーンショットではなく写真であると言えるのではないだろうか。

 

昨今フィルム写真が流行るように、美麗なグラフィックゲームが増える一方で30年前のマリオのようにドット絵で描かれたレトロ調のゲームも根強い人気があり、定期的に新作がリリースされている。ゲーム好きの筆者が思うに、グラフィックが綺麗になればなるほどプレイヤーは自分で想像する余地を奪われてしまう。SNS社会と同じで、情報過多になると与えられた世界観を押し付けられるようになり、自分一人だけの世界を作り出すことは難しい。写真表現を見てもここ最近、映像作品と一緒に発表することが増えた。さらにいえば、8k動画からの切り出しでオーバー3000万画素の静止画が得られる時代、ドローンと組み合わせれば自宅にいながら撮影に出かけることだって夢ではなくなってきている。

 

 

今我々は、目の前の景色をなぜ写真という媒体で撮るのかということを改めて考える時期に来ている。写真とは何なのか、カメラを手にする各々が自問自答して本質を探ることが写真文化存続の鍵である。

 

eスポーツの中にフォトコンテストが入ってきた時、そのプレイヤーは写真家になりうるのであろうか。

 

©Sho Niiro

 

プロフィール

Sho Niiro | 新納 翔

1982年横浜生まれ。麻布学園卒業、早稲田大学理工学部中退。 2000年に奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、写真の道を志す。2007年から6年間山谷の簡易宿泊所の帳場で働きながら取材をし、その成果として日本で初めてクラウドファウンディングにて写真集を上梓する。2009年から2年間中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして活動。以後、現在まで消えゆく都市をテーマに東京を拠点として写真家として活動をしている。 川崎市市民ミュージアムでワークショップの講師経験を経て、2018年6月より目黒「デジタルラボPapyrus」にてデジタル写真技術を広く教える活動もおこなっている。主な写真集に『山谷』(2011、Zen Foto Gallery)、『Another Side』(2012、リブロアルテ)、『Tsukiji Zero』(2015、ふげん社)『PEELING CITY』(2017、同)がある。 現在、新潮社電子書籍『yom yom』に写真都市論「東京デストロイ・マッピング」連載中。 Twitter:@nerorism 写真家・新納翔公式サイト:Niiro Sho Photography

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