富山駅から歩くこと4時間、日本海に近づくにつれ645Zに異変が出始めた。おかしい、確実におかしい。

 

 

645Zを使う時はほぼ67の105mmF2.4を付けている。最初期のアトムレンズ。HD PENTAX-D FA645 MACRO 90mmF2.8ED AW SRと比べても引けを取らない解像感とそのコンパクトさに惚れ、緻密な描写で都市風景を撮るのに欠かせない相棒だ。ただ、アダプターを介して付けているせいか、カメラの癖なのかAEで使うと自分の欲しい露出がなかなか出ないので、普段はマニュアルで撮ることにしている(その点K-3 Mark IIIは完璧だ)。ISO200 f11 1/500。センサーサイズの大きい中判デジタルはちょっとしたブレが命取りになるので、手持ち派の自分としては1/500は担保したいところだ。

11月某日、新作写真集『PETALOPOLIS』の印刷立ち会いで富山を訪れた。念の為2日を見ていたが、スムーズに終わった為に翌日は富山の街をぶらつくことにした。

 

 

富山湾に出るにはセントラムという近未来的な見た目の路線バスに乗れば30分ほどなのだが、日本海に至るまでの景色の変化、道中のプロセスに興味がある私は敢えて観光客は通らなそうな道をてくてく歩いていく。風光明媚な観光地もいいが、そうした嗅覚にまかせて偶然出会った景色というものは自分だけの宝物。普段撮影している太平洋側の東京景とどこが異なるか、その違いがどこから来ているものなのかを考察しつつ、交差点から見える景色にしても、遠くに雪をかぶった立山連峰が見えるせいで東京では撮れない写真に心が躍る。それが楽しくて、自分でもなんてエコな小旅行かと思いながら口笛まじりに歩いていく。途中、前日の疲れとパンパンに詰まった重いリュックサックのせいで、猛烈な睡魔に襲われ、海に続く神通川の河川敷を寝ながら歩いていた。

 

 

 

 

 

前日は晴れたかと思うと雨が降ってくるような日本海側特有の不安定な天気だったが、その日は打って変わってピーカン。見上げる空もどこか東京で見るのと色が違う。吸い込まれそうな深く青い空。

いつもどおりMモードで撮影していたのだが、なにかの拍子にダイヤルを動かしてしまいAモードにしてしまった。まぁいいかと撮ってみると「おかしい」のである。東京だったらぜったいに得られないはずのジャストな露出。気のせいかともう一度撮ってみるとまた撮れている。おかしい、実におかしい。こんな事を言うのもPENTAXの技術者には悪いが、カメラが壊れたのかと本気で思った。

そう思うのも、このAE問題に関しては645DからZに変えたときに散々悩み、PENTAXにも色々聞いたりしながら、一ヶ月かけてかなりの検証をしていたからなのである。この組み合わせでは自分の欲しい露出は出ないと結論づけていたのだ。

 

 

 

市街地を歩いていると、色が少ないことに気づく。建物によるものもあるのだが、冬の透き通った太陽光に照らされて街全体がハイキーに見えるのだ。太陽の光も射すというより、刺すと言った方が自分の感覚には近い気がする。ふとニコンF5のパンフレットに書かれていた「3D-RGBマルチパターン測光」の文字を思い出した。645Zの中に日本海モードが隠れ機能として入っていて、この白っぽい街の色を加味した特殊なアルゴリズムによって露出補正しているのかもしれない。なるほど、それでジャストな露出をはじいてくれるのか。

 

 

日本海側の天候や季節風、様々な条件が重なり合って太平洋側とは光の質が異なっているように感じる。実際はなんにも違いはないのかもしれないが、私の目には確実に違って見える。街の色とAEに何らかの関連性があるのなら、将来的にGPSによって衛生画像とリンクさせ、その土地ならではの微妙な補正値がリアルタイムで掛かる仕組みができるかもしれない。結局のところ、記憶色とか心象風景といったものはそうした補正が意識化で作用したものなのだろう。

 

 

 

 

富山駅を出発してから歩くこと5時間、ようやく日本海についた。人もまばらで釣り人が数人いるくらいだ。しばらく砂浜に腰を下ろし思いにふける。

21、2歳の頃だったか、石川県から新潟まで一人旅をしたことがあった。夏ということもあり野宿をしながら北上した。カメラはPENTAX67とヤシカFX-3 Super 2000だった気がするがそっちはあまり覚えていない。

 

 

どこだったか、日本海の遊覧船に乗った。モノクロフィルムをつめた67からカラーをつめたもうひとつのカメラに持ち替えようとした時だった。ばしゃーん、という音が響いた。肩にかけていたと思っていた67がそのまま海に落ちていった。

ああいう時は本当に時間がスローに感じるものなのだと思った。

 

 

ゆっくりゆっくりと67が濃い群青色をした海の中に、すーと落ちていくのをただ眺めていた。きっと今でも日本海のどこかに撮りかけの67が沈んでいるはずだ。どうにも僕と日本海とPENTAXは不思議な縁があるようだ。

そんなことを思い出しながら東京に帰ってくると、普通の645Zに戻っていた。

写真展案内

個展 PETALOPOLIS / ペタロポリス
2021年12月9日(木)~26日(日)
12月12日(土)トークイベント ゲスト 大西みつぐ(要予約)
ふげん社 https://fugensha.jp/

〒153-0064 東京都目黒区下目黒5-3-12
営業時間 :火 – 金 12:00 – 19:00
土 – 日 12:00 – 18:00
(月祝休)

写真集先行予約販売中

PETALOPOLIS / ペタロポリス

購入はこちらよりhttps://pinholebooks.stores.jp/

通常版と特装版(限定10)があります。
2021年12月8日までにご予約いただけると、特典としてサイン入りLサイズのオリジナルプリントが付きます。

額装例(ペタロイエロー)

東京を中心としたエリアを撮影していると、妙に違和感を抱く景色に出会うことがある。それは、いつも決まって刹那的に現れ消えていく。その正体は100年後もしくはずっと先の都市風景の片鱗なのではないだろうか。違う時代の景色がスポット的に存在しているから抱く違和感。今はまだ小さな欠片でしかないが、やがて未来都市のコアになるものだと。

1950年代後半に複数の巨大都市が交通通信網の発達で密接に結ばれ、一体化した大都市群は「Megalopolis/メガロポリス」と呼ばれるようになった。『PEELING CITY』(2017)はインターネットの普及もあってまさに「Gigalopolis/ギガロポリス」の景色だと思っている。

今作は東京から拾い集めた未来都市の欠片、つまりは私が提示できる未来の東京都市像です。その未来都市をPETALOPOLISと呼ぶことにした。

注 Mega < Giga < Tera < Peta はスケールの単位でそれぞれ1000倍のこと