表があるから裏がある。そんなことは書くまでもない事なのだけど、風景の裏側というとなかなか見つけにくいものだ。
写真を始めた2000年から今に至るまでずっと撮影しているシリーズがある。横浜~品川間の国道1号線沿いの景色だ。20年も撮っているとさすがに国道だけではなく、そこから広がる景色も見たくなってくるので正確には第一京浜も含め京浜工業地帯の景色という感じだろうか。今まで数回「道脈」というタイトルで個展をした。自分が撮ってきた作品群の根底には全てこの「道脈」があると思っている。
このルーティンに関しては>>前回の記事「うごめく都市風景」にて記したので多くは割愛するが、都市風景の難しいところはいつ景色の変化が訪れるか分からない点にある。有名な建造物ならまだしも、私的定点観測のターゲットは古ぼけた集合住宅や、何年も放置されている空き地なわけで、いつ工事が始まるかなど分からない。しばらく歩くのをおろそかにして空き地に何かできていると、それを撮れなかったこと、変化する瞬間に立ち会えなかったことに「してやられた」感を抱く。だいたいはこれといった収穫のない日が多いのだけど、何かを発見することよりも、何も変わっていないことを確かめに行っているようなものだ。
2000年の夏、写真を始めて各駅停車しか止まらない駅に降りてみると、そこには素晴らしい景色が広がっていた。それまで時速100キロで流れていく残像の中に、宝物を発見したような喜びを感じると同時に、メディアで取り上げられる風光明媚な観光地の景色と何が違うのかと「景色の格差」があるように思えた。今でも、すべての景色は等しく価値あるものだという想いから写真を撮っている。
今までどれくらい国道を撮りに行ったのだろう。少なく見積もって週一回20年、約1000回。
先日ふと思い立って逆に歩いてみた。いつもの終着点から出発する逆走コース。この交差点に来てしばらく歩けばあの建物があるという感覚が全て逆になる。たったそれだけなのに、まるで違う場所を歩いているように感じたのだ。今まで通り過ぎる「去りゆく景色」が、「来る景色」へと変化する。こんなものがあったのかと、新たな発見がたくさんある。いつも見ていた壁の裏側にこんな落書きがあったのか、このアングルは気づかなかったと。
その時、いつも見てきた景色の裏側を見た思いがしたのだった。
この写真は車道を背にして撮ったものである。川崎から歩いてこようが品川方面から歩いてこようが見る側からすれば同じ写真だ。どちらから来ようがここに立てば同じ写真になる。ただ撮り手の私からすると進行方向にあたる方が未来、逆が過去という時間軸が一枚の写真の中に存在する。逆走することによってそれが逆転する。写真の中に流れる時間のベクトルが逆向きになる。
写真なんて自己満足の世界。自分だけの定点観測地点をいくつも作っておくと街歩きが格段に楽しくなる。庭に植えた小さな花を観察しているような気分。そして観察しながら考察日記をつける。
こういう気付きこそ、次の撮影に生かされるものなのだ。無駄の積み重ね、写真はそれにつきるのだと思う。
©Sho Niiro